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リサコラム
本日のオードブル
第7回

部屋と藤尾とラベンダー


木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンに1990年より勤務し、400名以上の顧客を持つカリスマ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
趣味は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
15年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。好きな作家は、夏目漱石、檀ふみ、中谷彰宏、F.サガン

     
      ラベンダーに魅せられて
                         リサコ

 


部屋と藤尾とラベンダー




 毎週月曜日になると、マダム・ワトソンのスタッフは意味不明の言葉を投

げかけられ、
困惑した4日間を過ごさねばなりません。もちろん私が投げ

かけているのです。
「これが、今週のコラムのタイトルよ。その心は?」解け

た人には、私がフレンチをご馳走しなくてはならなくなっているので、みん

な必死で考えるのですが、いつも私の勝利に終わっています。ところが、

今週は、「あれでしょ。」「木村さん、もうそれを出してもいいんですか?」と

負けの様相を呈してきたので、早々に書き始めました。


イントロクイズです。


「ずいぶん遠いね。元来どこから登るのだ」と一人がハンケチで額を(

)
きながら立ち止った。「どこか(おれ)にも判然(はっきり)せんがね。どこから

登ったって同じことだ。山はあすこに見えているんだから」と顔も体躯(からだ

)
も四角にでき上がった男が無造作(むぞうさ)に答えた。
()りを打った中

折れの茶の(ひさし)の下から、深き(まゆ)を動かしながら、見上げる頭

上には、微茫(かすか)なる春の空の、底までも(あい)を漂わして、吹けば

(うご)
くかと怪しまるるほど柔らかきなかに屹然(きつぜん)として、どうする気

かといわんばかりに叡山(えいざん)(そび)えている。



私が高校生の時、日直のたびに日直日誌に冒頭当てクイズを出しては、


担任の国語の教師を困惑させたものです。時々は私の自作だったりして


先生をだまして、怒られたりもしました。これもその一つ。私が心から愛す


る、夏目漱石の「虞美人草」(ぐびじんそう)の冒頭です。繰り返し、繰り返


し読んでいるので、この部分は暗記しているほどです。大学入試の小論


文にも無理やり引用してしまいました。「虞美人草」は漱石の中ではあま


有名ではなくて、書店に並んでいないことが多いようです。


そのなかの美しい“紫”の主人公「藤尾」は、ラストネーム、姓ではなく名で


す。
我の女“とか、”我の強い、クレオパトラ“とも小説の中でと称されて


います。


明治41年1908年に出版されたこの本は、すでに古典の域に達してい


るでしょう。難解な漢詩や、シェークスピアの戯曲の引用が散りばめられ、


今の人が読むには、英語の小説より難しいと思う人もきっといるでしょう。


この本は、現代の人たちが忘れ去り、捨て置いてしまったものがいかに多


いかを、認識するために読むといいと思います。「読む」というより、堪能す


る小説です。「虞美人草」がどうして堪能するものなのかは、藤尾の人物


描写が雄弁に語ります。



(くれない)弥生(やよい)に包む昼(たけなわ)なるに、春を(ぬき)んずる紫


の濃き一点を、
鮮やかに(した)たらしたるがごとき女である。(さん)


る一点の(よう)(せい)が、死ぬるまで我を見よと、紫色の、(まゆ)近く

逼るのである。女は紫色の着物を着ている。静かなる昼を、静かに

(しおり
)
()いて、(はく)に重き一巻を、女は(ひざ)の上に読む。




丙午(ひのえうま)の藤尾は自ら人を愛することをせず、愛されることのみが存

在すると解釈する独善の人として描かれます。その命名からして、気位

が高く、小説全体のイメージカラーである紫を象徴する存在となっていま

す。この小説の結末は「濃い紫の()(ぼん)に、怒りをあつめて、(

ほろ
)
(
車夫の引く三輪車)(くぐ)るときにさっとふるわしたクレオパトラは、

突然と玄関に飛び上がり、
約束の時間に現れない婚約者の小野さん

に怒り狂って、家に舞い戻ると、小野さんから、別の女性
小夜子“を「自

分の未来の妻です。」と紹介されます。憎悪と嫉妬のあまり、立ったまま

長い黒髪をなびかせて、暖炉の前で憤死(ショック死)してしまうという結

末に至ります。物語の中で問われている人の善悪はその当時の価値観

や英知から判断すれば正しく、勧善懲悪なのかもしれません。しかし、 

藤尾より性格も品行も悪い女も男もたくさんいる現代で、そのストーリーよ

りの背景の色景色、少なく語られる藤尾の部屋のたたずまい、メールのな

い時代の人々の言葉遣い、立ち振る舞いに目を向けると、何度読み返し

ても深い感動を呼び起こします。



そして堪能すべきは色です。まるで宝石箱をひっくり返したように、赤紫、

青紫、柘榴(ざくろ)(いし)(ガーネット)(うぐいす)いろ、玉虫貝、(すみれ)


色にはにおいがあることがわかります。今の日本のインテリアにはない

ような耽美な色景色の世界に引き込まれます。同じ色でも濃い薄いによ

って人物の感情が細やかに表現されます。絵文字で自分の感情を相手

に伝える今の私たちの世界観とは、100年前の日本人はまったく違う感

覚で色や景色、人のこころ、感情を表現していたことがわかります。



古薩摩の香炉に香を焚き染めた部屋で、文机に方肘をついてシェークピ

アを読む藤尾。青い畳の上にたれた着物の長い袖をさっと払うと、「クレ

オパトラの臭いがぷんとした。」紫の着物の衣擦れのかすかな音、手入れ

の行き届いた静かな緑深い庭。絹の座布団の下に隠した金時計の鎖が

ちらりとのぞく様は、インテリアという言葉もない時代に今よりずっとセンス

あふれる情景ではありませんか?



インテリアはデザインよりも情景だと思います。そこにいる人もインテリアの

一部にして、美しいか、美しくないかが問題であって、人間のたたずまい

を無視してインテリアを語ることはできないと思います。インテリアの言葉も

使い古されすぎて、「木村さんはインテリアがお好きなのですね」と  

聞かれたときに、私は小さい声で、「はい」と答えます。今の時代の定義

付けもあいまいな「インテリア」と言う言葉に対しては複雑な心境です。


さてこのたびの
「名作平積み大作戦」の虞美人草解説はいかがでしょう?

読みたくなったでしょうか?色にはそれぞれ、においがあり、ラベンダー色

にはそんな清楚で気品あるにおいがあると思います。紫という色を今に

当てはめると、それは独善やおごり高ぶりではなく、高貴で耽美な精神と

訳せるように思います。そんな人に出会ったら、ラベンダー色のものを贈

りたくなります。つい最近もスィート10の結婚記念日の方にラベンダーを

贈ったところです。


そして私は、紫のにおいのする部屋で「虞美人草」を読みたくて、ただ今、

ラベンダー色の寝室を作っている最中です。紅を弥生に包む春にいつか

お見せします。



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また、来週の金曜日にお会いしましょう。
                      

木村里紗子 Risaco

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