チップ税
ホールの隅っこのコンシエルジュデスクで、ウイングローブは、いつものように
運転手つきの車の手配やオペラのチケットの手配を受けていた。すると、ある客
が「ゾウを手配して欲しい」といってきた。もちろんウイングローブは冷静にただ確
認するために「ゾウ、でございますか?」と聞き返す。客は念を押すように「インド
ゾウでなくては困る。アフリカゾウならいらないからね」と付け加える。そして友人
たちをゾウに乗せてリージェンツパークを一回りしたいからとその理由を述べる。
コンシエルジュのウイングローブの黒い手帳には貴重な電話番号のコレクション
がある。射撃場、かけはぎ屋、あらゆる国の言葉が話せる買い物代行屋、レンタ
ルヘリコプター、民間ジェット機の賃貸、馬車にいたるまで。彼は、アラビア湾か
らの顧客の電話で、「私がラクダを持ってきたとしたら、どこに預かってもらえるだ
ろうか?」と聞かれたこともある。だから、今回もウイングローブはあらゆる手段で
その“ゾウの手配”に努力する。しかし、リージェンツ・パークをゾウで乗り回すに
は、役所を駆けずり回り、『お役人の形式主義と懸命に戦わねばならない』それ
でも、彼はがんばるつもりだった。しかしそれを聞いて客は興味を失った。ザ・ホ
テルでの40年あまりの生活の中で、顧客から始めて『ゾウをキャンセルしてくれ』
といわれたのだった。
「ザ・ホテルー扉の向こうに隠された世界」(ジェフリー・ロビンソン著/春日倫
子訳 文春文庫)世界の国賓、富豪、著名人たち顧客の難題をこなしながら伝
統と格式を保ち続ける世界でも最高級のホテル、ロンドンの“クラリッジス”
(Clarige’s)そこに五か月滞在した著者によるノンフィクションの一節です。支配
人を始め、シェフ、コンシエルジュ、その他ホテルマンの苦闘する人々のすべて
が実話。それはつまり、朝食の注文を部屋に聞きに来たウエイターの物語から
始まります。
彼は注文を聞くとすぐに、配膳室のコンピュターに入力する。それと同時に、自
分のメモにも取っておく。翌朝、その客から「昨日と同じものを」と言われた場合
にそなえるため。そしてウエイターは、朝食サービスの後、配膳室を洗い清め消
毒し、床にたわしをかける。それを昼食サービス後もう一度繰り返し、夕食サー
ビス後もう一度繰り返す。その“労働集約型ビジネス”のおかげで、宿泊客はベッ
ド脇のボタンを押すだけで、「タキシード姿の男があらわれ給仕してくれることにう
っとりデカダンな味わいを楽しむ」ことができる。「そうでなければ、一杯のジュー
スとコーヒー2杯、トースト2枚が15ポンド(約3000円)もするわけがないではな
いか?」そうクラリッジスのレストランのオーダーの4割がメニューにない料理とい
うことからも彼らの日々のすさまじさがわかる。
A様の友人がB様。そのダンナさまは学生時代からC様とは親友。C様の息子
さんの結婚相手のD様に出産祝いを贈りたいけど何がいいかしらとA様が相談
にこられる。A様は、C様を知らない。さてと、ここで問題発生。Cさまはある地場
のタオルメーカーの社長さん。ベビー用のおくるみタオルは、だめ。それではと、
「がんばったお母さんのDさまにネグリジェとローブにシルバーのフォトスタンドを添
えたらどうでしょうか?」と答えます。「出産祝いのお返しの追加を」と簡単に注
文を受けるときのために、赤ちゃんのお名前と苗字をメモしてそれを覚えておい
て女の子の時には白地にピンクのロゴ入りのもの。男の子にはブルー地に白地の
ロゴ入りのもの。だから、ショップの包装紙は2種類。よく来られるお客さまの家系
図、結婚後の姓、相手の職業、生まれた赤ちゃんの名前、新居の住所、友人
関係、職場関係、趣味関係のつながり。くもの巣のようなつながりを頭に入れな
がら、だからといってパソコンのデータに細かく入っているわけでもなく、先日はお
母さまが入院され、今月はダンナさまのお姉さんが入院され、お子さんはオース
トラリアに留学中だったわ、と思い出しながら、「看病続きで、きっとお疲れでしょ
う?お嬢さんはいつ帰ってこられるのですか?」と話をします。「去年、クリスマス
に送った部屋着が気に入ってもらえたから、そんな感じの部屋着にバースディカ
ードを添えて直送してもらえませんか?」と電話で注文を受けると、簡単なイラス
トにメッセージをそえて、中のシックな部屋着に合わせてブルーの包装紙で包み
白とマリンブルーのリボンをかけ宅配の準備をし、請求書を会社宛に送るための
封書にコメントを添えて送ります。私たちの仕事は限りなく、ホテルのコンシエル
ジュに似ていて、手配するものが“ゾウ”ではなく、“癒しの寝室”だったり、“パジ
ャマには見えないおしゃれな普段着”だったりするだけです。
この本を書店で見つけたのは、真冬の日本から真夏のプーケットのビーチリゾ
ートに出かける前でした。空と海の境もあいまいなミントシャーベット色、長く美
しい砂浜のホワイト。それ以外の色が目にはいらない世界で読むためです。デッ
キチエアに寝そべって読んだ400ページのこの本は、南の島の非日常からの社
会復帰を円滑にしてくれました。
そのブルー&ホワイトの美しい世界で私は1つのアイデアを思いつきました。
”チップ税”というものです。タクシーのお釣りをもらわないようなものですが、ホ
テル、レストラン、美容室で、特別な注文をつけるとき、そのスペシャルオーダー
に対する“チップ”を支払うのが”きざ”ですが、実は好きです。今は混雑しす
ぎできませんが、2年前ショップ近所にできたばかりのフレンチレストランに、お昼
は足しげく通っていました。日替わりランチがお肉のときは、野菜たっぷりのパス
タに変えてもらったり、デザートをチーズに変えてもらったりもしました。そんな
ときは、ちょっとプラスした金額をテーブルに置いて席を立つようにしています。
日々、ショップでは、自家製の野菜、お菓子、手作りジャムにアクセサリーとお
金のかわりにいろんなチップをいただきますが、街中でちょっと知らない誰かのお
世話になったり、レストランやホテルで、いいサービスに出会っても、手土産のお
菓子の用意もなかったら.。“チップ”というコインがあれば、現金の生々しさがなく
感謝の気持ちを示すことができないだろうかと思います。たとえば300円のチッ
プを金融機関やコンビニで買ったら、そのうち3%がコンビニや金融機関等の手
数料。残りの7%が税金として年金や福祉の財源に当てられる。一定限度以上
のチップを買った人には減税もされる。もらった人は270円のお金を受けとる。
あるいは換金せず、チップとして使い回してもいい。
消費税をアップするより、”チップ税”なんて発想だったら、“とられる税”から、
“払いたい税”に変わるんじゃないかな、人々の気持ちも優しくなるんじゃないか
な、そう考える政治家の方はいないかな?なんてこの本を読んで以来、“チップ
税”がずっと頭から離れないのですが、いかがなものでしょうか?
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木村里紗子 |
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