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リサコラム
連載753回
      本日のオードブル

ホテル・ド・ルーヴル

第4話

「キッチンからはじまる
非日常」

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書「シンプル&ラグジュアリーに暮らす」(ダイヤモンド社
紙の本&電子書籍)(2006年6月)
「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
(電子書籍2014年8月)
道楽は、ベッドメイキング、掃除、アイロンがけなどの家事。
いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まる夢を見ること。
外国語を学ぶこと。そして下手な翻訳も。

20年来のベジタリアン。ただし、チーズとシャンパンは好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒はぜんぜん強くない。
好きな作家はロビン・シャーマ、夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、
マルセル・プルースト、クリス・岡崎、千田琢哉、他たくさん。




ボルドー色と
アイボリーの
市松の床のの左は
ブルーグリーンの流し台
右はアイボリーのカウンター
正面の窓からは明るい朝日が
入るダイニング
小さなテーブルに
緑色の居椅子と絨毯
なんだかあったかい



 







        

 第4話 「キッチンからはじまる非日常」




  ナミコは初日の朝7時、ホテル・ド・ルーヴルの玄関ドアのブザーを

押した。


            


 昨日は引っ越しの勢いでほとんどのものを処分し、身一つとわずかな衣類

と本をスーツケースに詰め込んで、1泊だけの高級なホテルでの解放感を味

わったが、そんなすべてを捨て去ってやって来たナミコの呼びかけに何の返

事がなかった。待つこと3分ほど。ナミコはその3分が30分にも1時間に

も思えた。


            


 ナミコは気を取り直して、もう一度、ブザーを押した。やがて玄関ドアが

開いた。そしてナミコを出迎えたのは、マダムではなく、住人の一人だっ

た。おかっぱ頭の彼女は白いシャツに黒いパンツを履き、初々しい新入社員

のような黒いブリーフケースを持っている。「あの、今日からこちらでお世

話になるものですが、先生はおいででしょうか?」女性はナミコのスーツ

ケースをちらっとみると、すっと背筋を伸ばして、「先生?ああ、マダムで

すね、私は朝、彼女に会ったことはないのですが、今は、きっとキッチンだ

と思います。それじゃ、急ぎますので、失礼いたします」それだけ言うと、

さっとナミコの横をすり抜けた。「あっ、あ、あの、キッチンはどちらでし

ょうか?」慌ててナミコが尋ねると、女性は廊下の先を示し、そのまま小走

りに出て行った。「ありがとうございます」ナミコは深々とお辞儀をする

と、小さなスーツケースを持ち上げて、ゆっくりと薄暗い廊下の先へと

進んだ。


            


 ほのかなダウンライトの光がところどころ照らし出している壁には、この

アパートの住人の作品と思われる絵画や立体的な彫刻のように見える作品が

飾られている。「なんで今まで気付かなかったのだろう?この廊下を通るの

は3度目なのに…」ナミコは自分で自分の気づきのなさにびっくりした。

そしてこの空間の中で、自分だけがアーティストの目をもっていないという

ことに恥ずかしいような秘密にしておきたいような気分のまま、重たいスー

ツケースを引きずらないようにゆっくりと抱えて廊下の先にあるはずのキッ

チンを探した。そして、先日案内された階段室の奥にそれらしいドアが見つ

かった。ただ、そこにはキッチンともダイニングとも何も書かれてはいなか

った。ただ、ドアプレートにはかわいい小さな文字で、「おいしいコーヒー

とお茶はいかが?」と書かれていた。喫茶店やティルームではないはずなの

に、やはり、このアパート、『ホテル・ド・ルーヴル』は一般的なマンショ

ンやアパートとはかなり違っているようだとナミコは思った。ナミコはノッ

クをする前にスーツケースをドアの外の壁際に置いた。


            


 しかし、数回ノックをしたものの、返事はなかった。ナミコはドアノブを

回してみた。鍵はかかっていなかった。開けた途端、正面の窓から眩い朝日

が入ってきた。間口が狭く縦長の部屋には、ブルーグリーンの流し台に向か

い合って木の天板のあるアイボリーのキャビネットが並んでいる。ナミコは

恐る恐る中へ入ってみた。


            


 キッチンの奥の明るい窓辺には二人向き合ってやっと座れるくらいの小さ

な四角なテーブルセットがあった。こぼれんばかりの濃い赤紫色の花びらを

幾重にも重ねるバラの花瓶がボルドー色のテーブルクロスの上に置かれてい

た。そして足元のタイルを見ると、バラの花びらと同じ赤紫とアイボリーの

市松の柄だった。こじんまりして、ほのかに温かく、明るく人の手がかかっ

た清潔な匂いをナミコは感じながら、棚の上に数多く並ぶガラスのかわいい

ボトル、年代物の深緑色の絨毯を眺めた。


            


 狭くて、明るく、おしゃれなダイニングキッチン、ナミコは昔、イギリス

の田舎町のホテルに泊まったとき、こんな小さなダイニングがあったことを

思い出して懐かしいようなうれしいようなわくわくする気持ちになってい

た。


            


 10分ほど経った頃、キッチンとダイニングの境目のボルドー色のドアが

開き、マダムが入ってきた。ナミコは緊張しながら挨拶を交わすと、「今日

からこちらでお世話になります。どうぞよろしくお願い致します」とマダム

に深々と頭を下げた。マダムはにこやかな笑顔でナミコに緑色の椅子を勧め

た。「ありがとうございます」ナミコはまだ緊張の糸が緩まず、背筋もピン

と伸ばしたままで椅子に腰掛けていた。「今日から一つ屋根の下で暮らすの

ですから、もっとリラックスしていいのよ」マダムはクスッと笑った。

「それに、私は早起きではないから、これでも今日はずいぶん早いくらい。

いつもはお日様がのぼってからゆっくりと身支度をするの。そして、朝はこ

こでコーヒーをいただくのよ」「ああ、そうなんですね。それは、早起きを

させてしまって申し訳ございません」「いえいえ、いいのよ。朝食はコーヒ

ーとご近所のパティスリーのオーナーが毎週2回、わたし専用に焼いてくだ

さるクッキーだけなの。野菜たっぷりでグルテンフリーなのよ。あなたもい

かが?今、美味しいコーヒーを淹れるから」

「あっ、コーヒーならわたしが、」マダムはナミコに答えず、すっと立ち

上がると、「いいえ、コーヒーなら私に任せて。これだけは私の方がきっと

得意だから」と言った。そしてマダムはナミコに腰かけるように手で示す

と、すぐに準備を始めた。


            


 「実は私ね、10年前まで喫茶店をやっていたの。始めたのはもう30年

前から。そのうち、喫茶店だけではつまらなくなって、お店の片隅で自分で

作った雑貨や服やエプロンなんかを売リ始めたの。すると、口コミで人気が

広がってね、お客様が常連客になって。するといろいろな要望がでてくるで

しょ。それで、段々とお店が手狭になってしまって。たまたまお隣さんが空

き家になったから雑貨と服のお店を広げたの。その時、喫茶店の部分はアフ

タヌーンティも出せるような優雅なインテリアにしたの。すると、今までは

ご近所やこの周辺の街からのお客様ばかりだったのが、だんだんと広がっ

て、テレビの取材もされたりして、とうとう全国区になってね、ちょうどカ

フェブームが始まったころで、ネットも行きわたった頃だったから、

そのうち、予約しないと座れないカフェになってね…」マダムは話しをしな

がらも手早くカップを温めると、プロの手つきで、白鳥の首のような繊細な

細いやかんの口から細く長いお湯をコーヒーに与えた。注ぐというより、

魔法の水をコーヒーの粉に与えているようなそんな手つきにナミコには思

えた。次第にコーヒーの香ばしい香りがキッチン広がってきた。


            


 「するとね、周りの人や銀行さんがね、多店舗展開をしませんか?と勧め

てきたの。まあ、普通は軌道に乗ったら、そうかもしれませんけどね、私は

やれないと即答したわ。もしもやっていたら今頃はどうなっていたかなと

想像するけれど、きっと運営することに躍起になって今のこの楽しさはなか

ったでしょうね。私はそんなビジネスが性に合わないの、残念ながらね、」

マダムはコーヒーポットを持ってテーブルに戻ると、ナミコのカップに湯気

を立てる琥珀色の液体を注ぎ始めた。すると香ばしくも甘い香りが部屋中に

漂い、ナミコはうっとりとした。


            


 マダムはさらにキッチンカウンターから小さなボックスを出してくると

数枚のクッキーを美しい緑色のペーパーナプキンの上に丁寧に並べた。

「美味しいクッキーも味わってね」「あっ、はい。恐縮です。ほんと、

コーヒー、いい香りですね。それでは遠慮なく、頂戴いたします」ナミコ

は早速、コーヒーと涙型のクッキーをほうばった。


            


 「美味しいですね~、ほんとうにおいしいです。それにクッキーがコーヒ

ーにぴったり!これ、お野菜なのですか?小麦粉なしなのですね?」

「ええ、そうよ」「信じられないくらい美味しいです」「そうでしょ?この

パティスリーさんは研究熱心で世界中旅して、いろんな野菜を試して、

試してここに至ったらしいわ。彼とも長いお付き合いなのよ。もう
30年。

それで、その野菜を作っている方は3代目のお若い方でまだ20歳そこそ

こよ。でも、土と戯れながら、格闘するのがゲームみたいで楽しくてしょ

うがないらしいの。きっとナミコさんもそのうちいろいろわかってくると

思うけれど…」


            


 二人がコーヒーとクッキーで和やかな時を過ごしているうち、小さなダイ

ニングテーブルの脇のミモザ色のシェードからの陽射しが強くなり、その手

前の白と黄緑の小さな花が咲いた緑色のカーテンが部屋を緑色に染めた。


            


 ナミコは出されたクッキーもコーヒーも堪能した後で、姿勢を正すと、

「それで、何から始めたらよろしいでしょうか?まずは、こちらの後片付

けをしましょうか?」と尋ねた。「いいえ、まずはあなたとのコントラクト

を交わしましょう。つまりは契約書ね。そして、お互いに納得し合ってお

仕事をはじめましょう。そして夕方、6時には問題点を話し合って、お食事

は住人の皆さんと一緒に3階の共同のキッチンとリビングでいただいて結構

よ。でも時々は私とご一緒しましょうね。ナミコさんといい関係を継続して

ゆきたいの。」「ええ、もちろんです。こちらこそありがとうございます」

ナミコはちょっと緊張がほぐれた表情で素直にうなずいた。


            


 「それは、まずは荷解きをして、落ち着いたら、また降りてきて頂戴。

ここの後片付けはその後で結構よ。準備ができたら、私に直通電話でお知

らせしてね」「はい、わかりました」ナミコは食器を流しの中に置くと、

マダムの方を向いて、「それで、先生は、お昼も夜もこちらで召し上がら

れるのでしょうか?実は、私、おふくろの味みたいな手料理ならたいてい作

れますが、お昼は何を召し上がられますか?」と尋ねた。マダムは立ち上が

って、「それなら、今日の昼はご一緒しましょ。私もお昼は何も予定がない

から」とマダムは言った。「私もうれしいです。精一杯、おいしいお昼を作

りますね。実はあり合わせの材料で料理を作るのが私、大得意なのです」

とナミコはにこやかに微笑んだ。


            


 
マダムはとてもうれしそうに両手で顔を包むようにしてちょっと首を

傾けた。「それでは、わがまま言っていいかしら?」


 「ええ、何なりとどうぞ!」ナミコが言うと、「お祝いだから、お昼は

フレンチでお願いします。とっておきのノンアルコールスパークリングワ

インも開けるわね!」とマダムはまるで18歳くらいの少女のような茶目っ

気ある口調で満面の笑みを浮かべた




  



 上のイラストから、「リサコラムの部屋」に入れます。

  
 *リサコラムは2021年より毎週水曜日に連載いたします。

p.s.1
 
 食事から仲よくなる人間関係。
しかし、今は、リモート飲み会、リモート食事会。
ほんとうに変れば変るものですね。それもいいのかも。


p.s. 2  インスタグラム、私の日常です。

  
 
 「もの、こと、ほん」は下の写真から、2021年3月号です。


           


p.s.3
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
    の英語版です。
    写真からアマゾンのサイトでご購入いただけます。


           


    タイトルは、"Bedroom, My Resort”
    Bedroom Designer’s Enchanting Resort Stories:
    Rezoko’s Guide for Fascinating Bedrooms


    趣味の英訳をしてたものを英語教師のTodd Sappington先生に
    チェックしていただき、Viv Studioの田村敦子さんに
    E-bookにしていただいたものです。
 
p.s.3
    下は日本語版です。
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
   どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。


                 



  バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

  書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

  どうかご了承くださいますように。







シンプル&ラグジュアリーに暮らす』
-ベッドルームから発想するスタイリッシュな部屋作り-
 
(木村里紗子著/ダイヤモンド社 )                      Amazon、書店で販売しています。 なお、電子書籍もございます。

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