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リサコラム
連載754回
      本日のオードブル

ホテル・ド・ルーヴル

第5話

「センティフォリア」

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書「シンプル&ラグジュアリーに暮らす」(ダイヤモンド社
紙の本&電子書籍)(2006年6月)
「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
(電子書籍2014年8月)
道楽は、ベッドメイキング、掃除、アイロンがけなどの家事。
いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まる夢を見ること。
外国語を学ぶこと。そして下手な翻訳も。

20年来のベジタリアン。ただし、チーズとシャンパンは好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒はぜんぜん強くない。
好きな作家はロビン・シャーマ、夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、
マルセル・プルースト、クリス・岡崎、千田琢哉、他たくさん。




淡いグリーンの壁の中に
半円のガラス窓のある
エントランスホール。
マリー・アントワネットが
使っていたような
デコラティブな
アンティークの
コンソールテーブル
グリーンの
シルクのレースカーテン
そこに漂うのは
センティフォリア



 







        

 第5話 「センティフォリア」




  ナミコの胸はドキンと波打った。

 得意料理はおふくろの味だとナミコが自信満々に宣言したあとで、

今からナミコの雇い主となるマダムは、「それなら、フレンチを作って

欲しい」と言ったのだから、当然というものだろう。


            


 
これはもしかしたら、パワハラではないかとか、嫌がらせではないかと

か、数日前までのナミコなら思ったかもしれない。しかし、今はそんなこと

よりどう返事すべきなのかとナミコは一瞬考えた後で、すぐにアイデアが浮

かんだ。そうだ、あの本に、マダムからもらった青猫の本に何かヒントが

書いてあったような気がする。 


            


 
ナミコはなんとか答えらしきものをみつけたようだった。それは、

『YesかNoか迷ったら、まずはにゃおと返事しよう…』という変った

提言だった。しかし、だからといって、仕事始めの初日にいきなりにゃおと

言う勇気はなかった。それなら、「フレンチって何ですか?」などと、ボケ

ればいいのか?いや、そうではないだろう。そしてナミコのくちびるから

とっさに出て来た言葉が、「シーフードグラタンなんてどうでしょう!」

だった。


            


 マダムはふふふと上品に笑い始めた。そしてそれはなかなか止みそうに

なかった。「ああ、申し訳ございません。失礼なことを言ってしまいました

でしょうか?」ナミコは後悔した。「いえいえ、それで結構よ。私もシーフ

ードグラタンが食べたかったのよ」と言うと、また体をよじりながら笑って

いる。「あのシーフードグラタンはフレンチなんかではありませんよね、

すみません。わかっているのですが、今、それしか頭に浮かばなくて…」

「いえ、いいのよ、それで。全然合格よ!」マダムはまだ笑いながら答え

た。「私たちはね、そんな柔軟な人たちと仲よくしたいのよ。だって、


            


 この中の人たちはみんな芸術家の卵だからオリジナルなアイデアを出すため

には、群れていてはだめでしょ。他の人が考えもつかないことを考えつく

には、Yes, Noにこだわっていてはだめでしょう」「そういうこと

で、あの斬新な『青の猫』の本をくださったのですね」「あなたもきっとこ

こに越してきて、この仕事をするとなったら、いろんなものを捨ててきたの

ではないかしら?」マダムは優しい目でナミコを見た。「ええ、実は昨日、

すべて不要なものを処分してきました。実家に送ろうかとかそんな考えは全

く浮かばず、不思議なことに。それに昨晩はホテルに泊まったのです。私に

とってはとても高級なホテルの、それも特別フロアに。全く、分不相応なの

ですが、なんだかそんな思い切った気分になれたのです」「なるほどね」

「ええ、自分の殻を脱ぎ捨てて、なんて言われますが、今ならわかるような

気分です。まだ、完全には脱ぎ切れてはいないでしょうけれど、」「そう、

わかるわ」マダムはそっけないくらい簡単に肯定すると、ナミコの前にすっ

と契約書を出した。


            


 「じっくり読んでちょうだい。何か気になる点があれば、話し合って修正

しましょ」ナミコはA4のペラの契約書に丹念に目を通してから、「いえ、

何もありません。こちらでサインいたします」と答えると、サインをした。

「これで契約成立ね。とにかく、仲良よくして、不満なことがあれば、何で

も言ってちょうだい」「ええ、ありがとうございます。」


            


 ナミコはそう言うとキッチンを出た。そして2階の自分の部屋に上がっ

た。いよいよ、この部屋は今日から自分の住まいだと思うと感無量の夢見心

地の中、スーツケースの中をクローゼットに空けた。そしてその感動の

まま、またナミコのいるキッチンに降りて来た。


             


 マダムはナミコに食料品のお買い物と、マダム行きつけの花やさんから

バラの花を取って来るように頼まれて買い物に出た。幸い、すぐ2軒先が

高級なスーパーで、どんな食材も花も豊富に揃っていた。


            


 ナミコは戻るとすぐに濃紺のエプロンを首から掛け、きゅっとリボンを結

ぶと、まずはボウルに水を張り、バラの茎を浸した。


            


 ホテル・ド・ルーヴルには小さいけれどまるで本物のホテルか豪邸の玄関

のように思えるゴージャスなエントランスホールがある。その中央の半円を

描いた細長い格子窓の下にはアンティークなのか、重厚な引き出し付きの

コンソールテーブルが置かれていた。マダムからは「玄関ホールにはバラを

欠かさないのよ。だから、そこのコンソールテーブルの上にバラを活けて

おいて」とだけ言われて、彼女はキッチンから出て行ったから、どの花瓶で

どんな風に活けるなどナミコは何も指示を受けなかった。


            


 ナミコはこれまでずっとビルの清掃業やお料理教室の後片付けをしてき

たが、たいていはマニュアルがあり、それに沿ってやればよかった。

しかし、今回の仕事はマニュアル通りにやる仕事ではなさそうというのが、

すでに、「昼ご飯にフレンチを」と言われた以前にわかっていた。マニュア

ルはないけれど、アパートの住人のお世話もマダムの眼鏡にかなった芸術家

志望の人たちだから楽しそうだし、みんなちゃんと定職を持っているわけだ

から、そうそう、気難しい変人はいないだろう。少なくとも芸術家的こだわ

りは強くても、悪い人ではないはずだ。その上、ナミコを夢のように美しい

部屋に住ませてくれるし、その気品あるマダムは淑女だし…ナミコは新しい

環境の違いを思いながら、キッチンの扉をひとつひとつ開けていった。そし

てパントリーの中に濃いブルーのガラスのシンプルな花瓶を見つけた。


            


 濃い赤紫色には負けないくらい強いこのブルーの花瓶が合うかもしれな

い、あとでマダムに尋ねてみようと思っていたところへ、彼女がキッチンに

戻って来た。


            


 「まあ、美しい色ですこと」「さようでございますね」ナミコの言葉は自

分でもおかしなくらい淑女の言葉遣いに変っていた。「ええ、ほんと、

とてもきれい!」マダムは花に顔を近づけた。「セントフォリアね。いい

香りだわ~、あの花屋さんだからこそ、こんな貴重なバラを用意でき

るのよ」


             


 ナミコは、「この花瓶でもいいでしょうか?」と濃いブルーの花瓶を両手

でしっかり持ち上げるとマダムの顔を見た。「あら、いいものを見つけた

わね、シックな赤紫のバラにぴったりね」とマダムが微笑むと、

「よかったです、それでは、」とナミコがハサミを入れようとした。


 「ナミコさん、ちょっと待って!花は置かれた場所で咲くものだから、

その場所で切った方がいいわよ」と、ナミコの手を制した。「あっ、はい。

すみません。わかりました」ナミコは素直に花瓶と花を持ってエントラン

スホールに行った。


 ナミコは戻ってくるとまた水の中に花をつけた。


           


 「マダム、先ほど、『花は置かれた場所で咲くものだから』っておっしゃ

いましたけど、私、『置かれた場所で咲きなさい』という本を読んだことが

あるんです。とてもいい言葉ですよね」「あら、あなたもそうなの」

「ええ。渡辺和子さんのベストセラーですよね、私、読書家ではないんです

が、それ以来、大ファンになっちゃって。仕事と人間関係で悩んでいた時期

があって、その本に救われたんです。だから、さっきの言葉でまた思い出し

て、ジーンと心に沁みました」「そうよね、あの本、すばらしい本だし、

とても素敵な生き方だと思うわ」マダムがそう言い終わると、ナミコは決心

したようにパチン、パチンとバラの茎を水切りすると、甘い香りを持って

またエントランスホールへ戻った。


 ホール全体に香りを漂わせるセントフォリアの香りとともにナミコの初日

は鮮烈に記憶に刻まれたようだった




  



 上のイラストから、「リサコラムの部屋」に入れます。

  
 *リサコラムは2021年より毎週水曜日に連載いたします。

p.s.1
 
 「置かれた場所で咲きなさい」
 いい言葉ですね。
 226事件は教科書の中の出来事と思っていたら
 まだその生き証人がいらしゃったのですから。
 2016年に亡くなられた和子さんとお父様は
 まさに渦中の方でした。


p.s. 2  インスタグラム、私の日常です。

  
 
 「もの、こと、ほん」は下の写真から、2021年3月号です。


           


p.s.3
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
    の英語版です。
    写真からアマゾンのサイトでご購入いただけます。


           


    タイトルは、"Bedroom, My Resort”
    Bedroom Designer’s Enchanting Resort Stories:
    Rezoko’s Guide for Fascinating Bedrooms


    趣味の英訳をしてたものを英語教師のTodd Sappington先生に
    チェックしていただき、Viv Studioの田村敦子さんに
    E-bookにしていただいたものです。
 
p.s.3
    下は日本語版です。
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
   どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。


                 



  バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

  書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

  どうかご了承くださいますように。







シンプル&ラグジュアリーに暮らす』
-ベッドルームから発想するスタイリッシュな部屋作り-
 
(木村里紗子著/ダイヤモンド社 )                      Amazon、書店で販売しています。 なお、電子書籍もございます。

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