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リサコラム
連載183回
本日のオードブル
華麗なるペテン師の流儀

第9回

俊春-上善如水


木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つカリスマ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
18年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト
      

   
「俊春さま、今日はどんな器にお入りですか?」

  
 
      
  





俊春-上善如水





「こつこつ」俊春の後ろのほうで音が鳴っておりました。「こつこ

つ」また聞こえておりました。静かなゆったりしたリズムで3度目が

また鳴りました。ドアを叩く音でした。「あつ、執事のゴローさんだ

!」俊春ははっと夢から覚めてドアに向かって飛んでゆくと、急いで

開けました。しかしそこにいたのは、ゴローでも、咲子でもなかった

のです。俊春は言葉を発するために、唇を少しだけ動かそうとしてみ

ました。しかし、くちびるはもとより、体は硬く硬直したように、み

じんも動きません。感情のほうが体よりも勝っているのか、手は小刻

みに震えていました。


「そんなに驚くこともなかろう」相手は非常に穏やかなゆったりした

口調でそう一言いうと、震えている俊春の手にかるく触れました。

「どうして、ここに?」「それはこちらのせりふだろうな」俊春はは

るばる追ってきた借金取りに遭遇したように、思わず一歩下がりまし

た。「ここはわたしの家でもあるからな」相手は練達の彫刻師が彫っ

たような慎み深く美しいしわの間から、俊春の顔に向けて2本の光線

を放ちました。「えっ、そ、そうなんですか?」さらに驚いて聞きな

おしました。


 それは山の中で会った老人でした。もうずいぶん昔の出来事のよう

に俊春には思えました。時の長さというものは宇宙と同じで伸びたり

縮んだりするもののようです。数時間が1年くらいに感じたのは、こ

のとき始めてでした。「まあ、驚くのもの無理はない。しかし、お前

さまの姿をさっき廊下で見つけたときは、わたしのほうが驚いたから

な。しかし、運が向いてきたようだな。私の言ったとおりにしたのだ

ろう」「はい、その節は、ほんとにありがとうございます」「ははは

その節か?お前さまに山道で遭ったのはついさっきのことだろう」

「ああ、ほんとそうです。すみません。とても時間がたったように感

じてしまって
あれから言われたとおりに夕日に自分の影を映しまし

た。するとその頭に当たる部分の草むらで、ここの別荘の女主人のケ

イタイを見つけまして、それで今夜はここに泊めていただくことにな

ったのです」「咲子さんのことだね」「はい、そうです」「俊春はド

アの前に立ちふさがっている自分にやっと気づいて、老人を部屋の中

に招き入れようと半身になりました。



 「いやいや、もうここで失礼し

よう。まあ、ここは私の家というより、私はここの別荘ホテルの一部

屋を持っているだけだけどな」「ここは、個人の家ではなくてホテル

なんですね」「まあ、ちょっと変わった山の中の別荘ホテルだね。最

高に居心地のいいね」「そうなんですか。さっき廊下を歩いてくると

き、たくさん部屋があるなと思っていたところでした。でも、ほんと

に不思議な出来事でした。すべてあなたのおかげです。あのとき、あ

なたに道端で会わなければ、今頃どうしていたのか、考えるだけでぞ

っとするほどです。でも、今夜だけは久しぶりに幸せな夜を迎えるこ

とができそうです」「そうか、それはよかったな」俊春は膝に両手を

置きながら、深々と頭を下げました。


 「あなたはまるで仙人のようです。さっと現れたり、さっと消えた

り、私にはまだ何がどうなっているのかよくわかりません」「あっは

はは、」老人は地面から湧き出すような笑いをひとしきりすると、「

はじめお前さまの顔を見たとき言葉とは裏腹に、目の中にはまだ光が

消えてはおらんように思えた。希望という名の光がな。だからこれは

まだ見込みがあるなと思って小さな助け舟を出したまでだよ。おお、そうだお前さまの名前はなんと言われる?」「筒井俊春といいます」「トシハルはどんな字を書く?」「はい、シュンビンの俊に春は、季節の春です」老人はそれを聞くとちょっと驚いたような表情を浮かべました。しかしそれもほんの一瞬だけでした。すぐに元の慎み深い表情に戻ると、「いい名前をもらっておられる。親のつけた名前には魂が吹き込まれておるからな」「はい。でも、今日は運よくこちらの咲子さんに拾われて、ここまでやってきましたが、正直、明日はどうなるのか、どうしたらいいのかまるで雲をつかむような気分なんです」「さようか。では、いいことを教えてあげよう。お前さまの名前には、春という字がついておる。この文字には、この世の春とか、青春とか、もちろん、一年の一番にやってくる季節だろう。きっとお前さまは、苦労を重ねた末に幸せな人生を得るに違いない。心がけ次第でどのような春もやってくる。つまり、成功を収めるということを暗示しておる」「そうなんですか。それがほんとなら、」俊春は驚いて老人を見ました。「こんな私が、2度も仕事に失敗した人間が、いまから成功できるなんて、とても思えませんが、人間らしい暮らしができれば、それ以上、望みはしません。もちろん、言われるとおりに何でもします」


 「それでは、まず自我を捨てなさい。そして水の心を持ちなさい」

「水ですか?」「水は偉大なものだ。どんな器に入れてもその形のま

まになり、しかもどんな色にも染まり、どんな汚れも消し去る力を持

っている。これは、中国の老子という思想家の教えで“上善は水の如

し”というものだ。しかし水は驕り高ぶらず、低いほうに流れる。1

滴の力は小さくとも、長くは岩に穴を開け、洪水を引き起こすことさ

えできる。そういう無限小の力は、せせらぎの水となり、やがて、小

川の流れに変わるだろう。小川は川になり、悠々と流れる大河にいた

る。お前さまもきっとこれから努力しだいで、意のままに自分の運命

を変えることさえできよう」老人の口からは出た言葉に俊春は聞き

入っておりました。「分かりました。明日からは1滴の水になった気

持ちで自分なりの道を見つけます」「それがいい。お前さまは自分

を飾らず、さらけだし、どんな環境にも従いなさい。お前さまの名

前には大変な力があることを忘れないように。これから先はわたしに

頼らず、自分の頭でよく考えることだ」「ありがとうございます。明

日から言われたとおりに、水の心になってどんな環境にも従います」

俊春はうれしくなって、頭を深く垂れた後、ようやく頭を上げると、

ついさっきまで自分の目に前にいた老人は霧のように消えておりまし

た。




          



 不思議な光景でした。老人のいなくなったあとには青白く煙る気配

だけが漂っておりました。老人が残した言葉は静寂な空気のなかに細

かく砕かれ、浮遊し、俊春の部屋の中に入ってきました。それを眺め

ながら体の中に小さな泡のようなものが湧き上がってくるのを感じて

おりました。それは、かつて、俊春が裕福な暮らしをしていたころ、

リゾートで飲んだシャンパンの無数の泡のようでした。





           







 「華麗なるペテン師の流儀」シリーズ、「俊春」は来週以降もしばらく続きます。

さあ、フィクションの限りない想像の旅へご一緒に参りましょう!

では、また来週金曜日まで、ご機嫌よろしゅう。



 この別荘の部屋は、主婦の友社PLUS1LIVING別冊”BonChic第2号”

2010年3月5日発売で、ご覧くださいますでしょうか。




                                      木村里紗子










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