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リサコラム
連載187回
本日のオードブル
華麗なるスパイの失策

第1回

L’Hotel Waffles


木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つカリスマ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
18年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト
      

   
「いよいよ、スパイ潜入よ!」
  「おいおい、その格好、工事現場に潜入する気かい?」

 
      
  





L’Hotel Waffles


 

 「いらっしゃいませ。おや、あなたさまはレジデントのお方ではござ

いませんね。大変申し訳ございませんが、こちらのホテルは、レジデ

ントのお方さまでなければ、お通しすることもできかねますものです

から」チャイムを鳴らして出てきた執事らしき男性は、私の顔を見る

なり、予想どおりという顔で、こう言い放った。


 もちろんそんなことは承知の上だ。“狭き門より入れ”私の脳裏に

はその時、アンドレ・ジイドの小説の扉の裏に書かれていた聖書の文

言がふいに浮かんだ。大理石の門柱に囲まれた正面玄関には、ゴール

ドクレストがシンメトリーに並ぶのみ。文字通り“狭き門”だ。看板

すらない。私は得意の嗅覚を研ぎ澄ました。分かっちゃいるさ!私は

もう一度、こう心の中で呟くと、執事の放った、“レジデント”とい

う言葉にどう答えようかと迷うそぶりを見せた。その“レジデント”

という言葉は、私に昔の記憶の扉を開かせた。数回投宿したことのあ

る、シンガポールのホテル、“ラッフルズ”のロビーでのお決まりの

問答シーンだ。“レジデント”とは異なる“見物客”はロビーのある

ラインから先へは立ち入ることができなかった。返事に窮していると

巨体のインド人のドアマンは丁重に「こちらにお泊りで?」と畳み掛

けてくる。「ノー」といった瞬間、彼は立ちふさがるように、大理石

の床の上に目に見えないラインを引く。そのラインは常に数センチも

いや数ミリも間違われることなく、常に白亜の宮殿ホテルにやってき

た物見遊山の見物客の行く手を阻む。


 私は、髪の毛をきちんと撫で付けて、こちらをさりげなく観察する

初老の執事を前にして、表面は勝ち誇った気分で胸ポケットに手を差

し込んだ。執事のその表情は、悠然として、まっすぐな背筋をそびや

かし、白い手袋の手を膝の上で組んだ。私は、胸ポケットに差し込ん

だ手をすぐに引き抜くことはせず、ちょっと勿体をつけた。ここで、

刑事コロンボなら、あちこちのポケットを探って、うろたえた表情を

見せるはずだろう。自分を間抜けに見せて相手に隙を与えて安心させ

その実相手の反応を探る常套手段だ。しかし私はそうはしなかった。

正々堂々として、あらぬ勇気を動員させ、さらにその勇気たちに点呼

確認したあと、印籠を突きつけた。いや実際には、印籠ではなく、単

なる4つに折った紙切れだった。執事はその紙切れを受け取るとこれ

以上ゆっくりとは広げられないだろうと思うくらいゆっくりと、ひと

つ、ふたつと広げていった。私は「じらし」という無言の試験を受け

ているようだった。そのじらしの長い瞬間、私は執事の表情を見なが

ら、次に予想される爽快な気分に浸っていた。それは、ラッフルズの

ドアマンに「イエス、レジデントだよ」といって、部屋番号を投げつ

けながら巨大なドアマンの壁をすり抜けるときと同じ爽快な気分だっ

た。その先には毎日大勢の若い女性たちが這いつくばって磨き上げる

ラッフルズの歴史を刻みつけた階段がある。その階段を自分の最高レ

ベルの優雅さと軽やかさをステップにこめてリズミカルに登る。途中

の踊り場でちょっと下のロビーに目をやると、満天の星のようなクラ

シカルなシャンデリアは、金色に光る粒を撒き散らしながら、コロニ

アルな陰影を落としていた。ああ、きっとそんなロビーがこの先には

広がっているに違いない。私は執事の横をするりと通り抜けられる瞬

間を待った。しかし、執事は予想に反して、冷徹とも思える穏やかな

表情で、ゆっくりとなめるように、四角な便箋を眺め、マルセルの乱

暴な筆跡を確かめ、そして、なるべく失礼に当たらないようにとの配

慮で、すかし文様が入ったクリーム色の便箋にさりげなく光を通過さ

せて、マルセルの家紋と文字を確かめた。「なるほど、マルセルさま

のご紹介状をお持ちなのですね。さようでございますか。それは大変

失礼致しました。では、どうぞこちらへ」執事はゆっくり私を狭き門

の中に招き入れた。私は「どうやらマルセルは私のことを伝えていな

かったのでしょうかね」といたげな困惑の表情を執事に見せた。執事

は私の顔をしげしげと見つめは、しなかった。ごくごく控えめに、ま

るで主人のベッドに新聞と朝のお茶を届けるときのように、すがすが

しい笑顔で、なるべく視線をこちらに向けることなくその実、探って

いた。私は初老の執事の案内に従って、その門を通りぬけ、付き従っ

ていった。


 そう、ここはレジデントの紹介状がなければ、宿泊どこころか、1

歩たりとも足を踏み入れることさえできないという、変わったホテル

である。その中がどのようになっているのか、そして、どんな人間た

ちが泊まっているのだろうと、押さえ切れない好奇心に、興奮は私の

血管を全速力で駆け巡り、危うく足が埋まりそうなじゅうたんで転び

そうになってしまった。「お客様、大丈夫でございますか?」執事は

驚いて、いや、驚いたふりをして、私の腕を持とうした。いえ、すみ

ませんと私は自分の気持ちを悟られたかなとびくついて答えると、ま

た元のようなポーカーフェイスで、静かに笑みをたたえ、私にロビー

のような広々とした空間に至るドアを押した。「さあ、どうぞ。お足

元にご注意くださいますように。こちらはとても心地よいサロンでご

ざいますよ」執事はちょっと声を低めて、少し体を前に傾けると、私

を先に行かせた。執事というものは、完璧な変換機能を持つ最新の翻

訳機のような直観力で、即座に相手の気分を察するものに違いない。

執事が「サロン」と発音した音には、趣味人が好む排他的なニュアン

スがこめられているような気がした。私はあくまでもレジデントでは

なく、その友人か知人かであり、大切にもてなすゲストには違いない

が、あくまでも主人の次に大事な人間だよ、という無言の確認事項に

違いない。「ここからはお静かに願います」その暗黙のメッセージは

また私に畳み掛けられてきた。


 昼間の明るい光は、大きく開いた窓から、絹の刺繍を施したレース

越しに清潔な香りをさらに神々しいものにランクアップさせているよ

うだった。「こちらで少しお待ちいただけませんでしょうか?」執事

は私に肘掛椅子を勧めると、一礼をして奥に下がって行った。ロビー

には不思議なことに人気もない。ボリュームのあるカーテンの向こう

の通路の先にはいったい何があるのか、ここのレジデントと呼ばれる

人間たちはどんな人間たちなのだろうか。そしてどんな非日常が営ま

れているのだろうか。私は容赦なく差し込んでいる光に目を細めなが

ら、心を躍らせていた。「マルセル、マルセルは、今すやすやと眠っ

ている。日が落ちるまで、決して起きてくることはない」私は安心し

て、肘掛椅子に深く腰を落とした。


“L‘Hotel Waffles”だって?そんな名前、もちろん

偽名さ。さらに当然ながらマルセルなる人間と私は、一面識もない。




           
            





本日、2010年4月16日より、『華麗なるスパイの失策』が始まりました。

さて、どんな展開が待っているのか、私にもわかりません。

本日はマダム・ワトソンのリニューアルです。

4月末までにさらに変貌を遂げる予定です。

このよき日に、失策なんて、縁起でもないですね。



では、また来週金曜日まで、ご機嫌よろしゅう。







                                      木村里紗子










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