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リサコラム
連載188回
本日のオードブル
華麗なるスパイの失策

第2回

ジャカルと呼ばないで

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つカリスマ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
18年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト
      

   
「残念だが、色鉛筆も筆記用具も、
          スケッチブックも持ってないんだ....」

 
      
  





ジャカルと呼ばないで




 20分はたっただろうか?ロビーには未だ人影も現れない。執事は

いったいどこへ行ったんだろう。私の中の小さな虫がじりじりと鳴き

だした。その声は“キケン、チュウイ、コードナンバーを確認せよ”

というメッセージ音を発していた。しかし辺りにはキケンな雰囲気と

はまるで無縁な、さらに最近はめったに感じたことのない平穏な空気

感があるのみ。そこかしこに平和で安全な非日常を醸し出す演出がふ

んだんに施されているからだろう。私はさっきから、未知なる空間に

放り込まれた人間が見せるごく自然な視線動向を装い、さりげなく監

視カメラの位置を確認していた。広々としたロビーラウンジには、高

い天井からトップライトが計算された光を落とし、南東に広がる大き

な窓からは、降り注ぐ自然光をカーテンというやわらかいフィルター

に通過させた後、存分に取り入れている。いろんな形の椅子やソファ

はランダムに並べられている。ソフトモダンなクラブラウンジといっ

たところだな、私は思った。ラグジュアリーな落ち着いた印象の空間

であるが、高価な絵画もことさらに格を誇示する調度品もなし。私は

それよりずっと波のように緩急をつけて漂ってくる香りはなんだろう

と気になっていた。くちなしの香りか?鈴蘭の香りか?パウダリーで

清純な花の香気を嗅ぎ続けていた。いったいどこから漂ってきている

んだろう。そう思いながら、執事を待って暖炉のかたわらの肘かけ椅

子にじっと座っていた。



 その暖炉はモダンな造りの四角いモニュメントのような石柱に組み

込まれている。高さ3m50はありそうだ。その柱は天井まででは気

がすまなかったのか、折上げ天井の上まで背を伸ばして、悠然と起立

している。そのはるか下の一部分にはガラスが切られた場所があり、

その中では、いつまでたっても燃えつきることのない薪が濃いオレン

ジ色に包まれている。ガラスの表面に触ってみてもそう熱くはない。

ちょろちょろと燃える光は永遠に燃え続けるようにも思えた。もちろ

ん、燃料の補給さえすれば、故障か爆発さえなければ、このまま半永

久、燃え続ける予定だろう。この環境の仕業には違いないが、こんな

くだらないことを自問自答する余裕を私自身、不思議に感じていた。

危険な任務を一瞬も忘れたことのないこの私が、数十分の間の数分間

だが、意識が遠のいたように感じて、非常に驚いた。この感覚を前に

感じたのはいったいいつだろう?



 暖炉の炎を見つめるときに感じる懐古趣味は、お決まりのように昔

の記憶を呼び覚ました。子供のころは戦闘機のパイロットになりたか

った。それからエーリッヒ・ケストナーの『エミールと探偵たち』を

読んで、探偵ものやスパイものが好きになった。そうだ、ハードボイ

ルドに魅了されたころもあった。パウダーブルーのスーツに濃紺と白

のオルタネートのストライプのシャツ、ピンホールに金のピンを挿し

細身のネクタイをして、レイモンド・チャンドラーの探偵フィリップ

・マーローを気取ってみたりもしたものだ。ある時期は古い映画『カ

サブランカ』の、そう、そうさ、ハンフリー・ボガードの『カサブラ

ンカ』、ああ、「昨日のことかい?そんな昔のことは覚えちゃいない

今夜だって?そんな先のことはわからない」なんて、キザなせりふを

言いたいために誘導尋問まで考えたものだ。しかし『007』にはな

ぜか憧れは持たなかった。というより、嫌悪していた。私はそれより

フレデリック・フォーサイスの小説『ジャッカルの日』の闇の主役の

スパイに得もいえぬかっこよさを味わったものだった。イギリス人で

長身痩躯、誰も知らず、誰も見たことがなく、もちろん本名を知るも

のもいない影のような男。彼はコードネーム“ジャッカル”とだけ呼

ばれた。私は暖炉の前で両肘を膝の上に乗せてガラスの表面10cm

のところで、手の平をあぶりながら、ひとり炎を見続けていた。ただ

じっと。オレンジがかった赤い炎はただの一瞬たりとも同じ形をして

はいない。完璧に同じ形は自然界には存在しないはずだ。そしてこの

世にありそうで決してないもの、それは完璧なる仕組み、完璧なる

仕事。しかし唯一、「完璧なる偶然」それこそが私が信じる完璧なる

ものである。思いをめぐらせながら、私は善良な人間が持つ、懐古趣

味の笑みを浮かべていたに違いない。監視カメラは、お人よしの善良

なサラリーマンが、友達が泊まっている優雅な別荘ホテルに遊びに来

たとしか判断しないことだろう。まさか、スパイ行為を働くために雇

われた探偵だなんて、思うことはあり得ない。



 「ねえ、ひつじの絵を描いて」私の頭の50cmほど上で人間のよ

うな声がした。顔を上げると、そこには金髪で少年のような顔をした

人間が私を見下ろしていた。「ね、ひつじの絵を描いて」2度目で私

は雷に打たれたような衝撃を感じた。この、この光景は何かで見たよ

うな、ああ、そうだ、確かに見た、いや読んだことがある。金髪の少

年、ひつじの絵、間違いなく、サング・ジュペリの『星の王子さま』

のシーンではないか。もしも、ここがサハラ砂漠で、不時着したパイ

ロットであれば、これこそ「完璧なる偶然」に違いない。少年の顔を

した人間は何歳なのか見当もつかなかった。しかしこの別荘ホテルに

は、25歳未満は立ち入ることができないはずだから、それ以上とい

うことは確かである。私はきっと唖然として口を開けていたに違いな

い。若者は、くすくすと笑い出した。「君は?もしかしたら、
星の王

子さまなの?」自分でもばかげた質問をしたものだ。とっさに出た言

葉に自分でも驚きながらも、黙ったまま笑い続ける青年を見上げるし

かない、間抜けな人間になっていた。ここで、主人公のパイロットは

王子さまの容貌を描写していたはずだ。私はそれに習って、頭の中で

さらに間抜けな模倣をしていた。年齢不詳、金髪のぼさぼさ頭に、ブ

ラウンの瞳。身長は180cmくらい。痩せ型で、そうだ、赤いウー

ルのガウンを着ている!襟元はだらしなく開き、中から白いテーラー

の仕立てのいいパジャマが覗いている。ピンとしているのは襟元だけ

で、まさに寝起きのような姿である。足にはルームシューズをサンダ

ルのようにつっかけ、手には大きなマグカップを持ち、モーニング

コーヒーの最中のようである。王子さまは暖炉の脇のオットマンに腰

をかけると、ルームシューズを脱ぎ捨て、長い足を持ち上げて、膝を

抱えるような格好になった。そして私の方に体を向け、文字通り対峙


(
たいじ)した。なのに、“ひつじ”以来、無言で笑みを浮かべ続ける

のみ。私は困惑した。コードネーム『ジャッカル』だと、うぬぼれ

ていた私じゃあ、なかったか!何か返す言葉はないのか!



 笑みを浮かべたまま、星の王子さまは口を開いた。「あなたって、

スパイ?」






           




 p.s.イラストの中の”ジャッカル”の後ろのカーテンは、ストリングス・バーチカルと

います。最新ですね。オランダ製です。

こんなすてきな間仕切りを今度やってみたくて、描きました。

マダム・ワトソンで見られます。



2010年4月16日より、『華麗なるスパイの失策』が始まりました。

さて、次はどんな展開が待っているのか、実は私にもわかりません。





では、また来週金曜日まで、ご機嫌よろしゅう。







                                      木村里紗子










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