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リサコラム
連載191回
本日のオードブル
華麗なるスパイの失策


第5回

2Q10コミューン

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書”シンプル&ラグジュアリーに暮らす”(ダイヤモンド社)(06年6月)がある。
道楽は、ベッドメイキング、掃除、いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まること。
18年来のベジタリアン。ただしチーズとシャンパンは大好き。甘いものは苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒は強くない。
好きな作家は夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、F・サガン、マルセル・プルースト
      
         
「ふふふ、君は、匂いに敏感なようだね」

 
      
  





2Q10コミューン




部屋は2重扉つきで、ロビーを通らずにいつでも逃走可能。しかも

ニックネームでOKだという別荘ホテル。高いハードルを長いバーで

クリアすれば、スパイにとってはこの上ない天国というわけか!懸命

に他人のサインを練習した私がとてもまぬけに思えて、ひそかに苦笑

した。


 「すると、つまりは、こういうことですか」私はシルバーのペンと

革のバインダーを執事のほうに押しやりながら、ゆっくりと言葉を選

んだ。「私は私でなくてもよいと、探偵フィリップ・マーローでもよ

いと」もちろん冗談めかしてだが。「さようでございます、マーロー

さま。この中では、ハードボイルドの探偵になった気分でお過ごし戴

けるのです」「なるほどね。そういうわけで、ここには星の王子さま

がいるんだね」「さようです。王子、王女さまに、国王やヒーロー、

“オーディナリーピープル“なんていうニックネームの著名な方もお

いでです」「ほう~、そりゃ、面白い!」私は職務を忘れて、この奇

妙なる世界へのキップを手にしたことを喜んだ。「まあ、人はそれぞ

れ生きてきた環境や職業などの影響を多く受けて日々、暮らしを送っ

ておるものでございましょう?しかし、時にはしばしの間、そこから

逃避してみたいとか、まったくの別人として生活してみたいとかいう

憧れも、皆、なくはないでしょう。それを実際にやってみると実に面

白いものでして、新たな人生の一面を発見したり、事実、才能を開花

させる方もおいでなのですよ。こちらにはすべてのレジデント、ゲス

トの方にそれぞれ書斎がございますし、地下には広いライブラリーも

ございます。そこにはレジデントの方が持ち寄った書籍が並んでおり

ます。その数はどんどん増える一方ですがね。しかし、面白いもので

すよ。自分以外の方の書斎を覗き見できるのですから。しかも厳選さ

れた貴重な本が並ぶ優秀な図書館です。閲覧自由で、ご自分の書斎に

持って行ってご自分だけのラリブラリーを作ることもできます。今ま

で知らなかった世界に埋没するように本を読むのはまたこの上なく幸

せなことです」執事の表情は熱を帯びていた。自分だけの整った書斎

を切望するサラリーマンが自分の夢を語っているようにも見えた。

「それが夢ではなくて、ここでは現実なのですから」


 どうも、ここは単なる癒しのリゾートではなさそうである。「リゾ

ートといえば、のんびりゆったり、おいしいものをたくさん食べてと

いうイメージですが、ここはそうじゃないということ?ですね」「そ

うともいえますね」執事は笑いながら、「ダイニングはひとつござい

ますが、ご朝食、ティタイム、ランチ、アフタヌンティ、カクテルタ

イム、ディナー、そして、ナイトキャップまでご用意がございます。

しかしメニューはございません。ご希望のお料理もお作りできますが

日替わりのメニュー中心です。食材はすべて地元の、地産地消でござ

います。オーガニックのお野菜中心のお料理です。きっとお口に合う

と思いますよ。スタッフもほとんどが地元出身でございますし、優秀

なシェフ集団を抱えており、ときどき近隣のレストランのシェフがや

ってきて腕を振るいます。そして、これは少々ご理解が難しいところ

かも知れませんが」執事はそう前置きすると、「先ほど、すべてのレ

ジデント、ゲストの方々、そしてスタッフがニックネームで呼び合う

と申しましたが、この中はひとつのコミュニティと、お考えください

ますか。都会では、道でぶつかっても挨拶もしないような他人と自分

との接点が希薄な関係でしょうけれど、それとは違う新たなコミュニ

ティなのです」「ふ~ん、つまり家族的なということですか?」「そ

こなのでございます。日本では特に、血縁関係をコミュニティの中心

に据えておりますが、この中では、血縁も利害関係もない他人同士が

気軽に会話をし、お互いを思いやるのが規則といえば規則です。です

から、ラウンジでは、職業や専門分野に関係なく会話が盛り上がって

いる光景がよく見受けられます。基本的にはこちらはホテル形式の別

荘でございますので、休暇を利用してお見えになられるのがほとんど

です。もちろん中には長く滞在なさっておられる方もおいでですし、

王子さまのように作家活動の目的のために滞在されておいでの方も、

中にはいらっしゃいます」


 執事は淡々と語り、私はずっと無言で聞き入っていた。「さあ、ハ

ードボイルドカクテルを」私はすっかり忘れていた紫色のどろりとし

たカクテルを口に入れた。ほのかに甘い懐かしい味が口の中に広がり

その後、すきっと、のどを通った。「これは?」「はい、いちじくの

カクテルでございます。近所の農家で栽培しております新鮮なもので

ございますよ。いかがでしょう?」「ほ~っ」私は安堵の吐息をもら

した。「これは、いけますね」「それは結構でした」ここへ来てから

まだ小
1時間しか経っていないのに、私はずっと何かに感嘆の声を上

げ続けている。なんとも呆れたものだ!「まあ、今までのリゾートホ

テルのイメージからはかなりかけ離れておりますでしょうね」私の想

像からももちろん依頼人の想像からもかなりかけ離れたこの別荘ホテ

ルの実像の前に、今では、地上2.5m程のところから、はしごをは

ずされ、宙ぶらりんの状態で足をばたつかせているような気分に浸っ

ていた。足が着くほどの浅瀬でおぼれるようなものである。宇宙船の

無重力の中に放り込まれた気分といえば一番ぴったりだろうか。八方

自由でありながら、八方ふさがり。奇妙なシチュエーションにまごつ

きながらも私は執事に質問をした。「つまり、ここは全く新しいリゾ

ートだというのですね。癒しという捉え方も違うような?」執事は今

までで一番素直な微笑みを返した。「ご理解いただけたようで光栄で

ございます」「はあ、なんとなくですがそんな気がしてきたもので。

ここには新しいコミュニティができているようですから。いや、面白

いですね」私は本心からその言葉を吐いた。


 執事はなおもすべてを語らず、私を次の部屋に案内しようと腰を伸

ばした。私は案内されるままに、大きなクリームチーズのソファから

転げるように降りると書斎から廊下に出た。そこは三方がガラスで覆

われた、明るくクリアな空間につながっていた。心地よい光、芳しき

香り!スパイの嗅覚が感じたものは、ハードボイルド魂が切望するあ

の香り!そう、しゃれたふだん着のシャツとコットンパンツ、白いバ

スローブにプレスのきいたパジャマ、テイラーメイドの店に入ったと

きの、あの憧れの”匂い“だった。「さあ、どうぞ、こちらがマーロ

ーさまのサイズのメンズのドレッシングルームでございます。お好き

なお召し物をお選び戴けます」その時の感覚をなんと表現しようか!

すべての感覚が麻痺してしまうような、実に感動的だった!
職務中

の私は、名の知れぬ深い落とし穴に落ちた。










 p.s.1週間は長いですね。1週間も書かないと、前に何を書いたのかも自分で

忘れてしまいます。


次週は5月21日金曜日です。それまで、どうかご機嫌よろしゅう。







                                      木村里紗子










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