男が５分前からﾄﾞアの前に立っていた。秋の風は、バタンと看板を

ドアに軽くたたきつけ、空のペットボトルが足元に転がった。男はや

っと決心するとドアを押して中に入った。「山田博明３５歳。独身。

職業は会社員、婚活中のサラリーマンです」狐狸庵相談室には、また

独り悩める子羊がやってきたようだ。


　「君は、いつもそんな風に唐突に自己紹介をするのかね？」「はっ

？」不意をつかれた男は首だけこくりと５度ほど倒したままで目をき

ょろつかせるばかり。「ああ、いえ、すみません。緊張してます」

「それじゃ君、敬老の日の集いの中でさえも、アウト・オブ・ファ

ッションだよ」博明は２ヶ月洗っていないスーツの胸を押さえた。

「ファッションがアウトということですか？」次に安物シャツにレジ

メンタルなネクタイの黒縁めがねの相手にそれとなく視線を戻した。

「やれやれ」狐狸庵先生は、博明にはわかりっこないが、チャーリー

・ブラウンのため息をついた。「たとえのジョークだよ。君。ジョー

クの解説をするほど、アウト・オブ・ファッションはないがね」博明

は、狐狸庵先生のつっかけを見た。「婚活なんて流行り言葉を平気で

使うところが時代遅れなんだよ」「“婚活”が時代遅れ、ですか？」

「結婚活動、『婚活』なんて品のない言葉を流行らせたのは、いった

いどこのコピーライターか知らないが、そんな略語を使って君は平気

なのか？」「はぁ～大丈夫じゃあないすか？」博明の頭の中の言葉は

といえば、流行り言葉と教科書で習った言葉の順列組合わせ以外にオ

リジナルな表現はないようだ。「そんなあいまいな言葉遣いをしてい

るところを見ると、女性にはモテナイだろう。それが君の悩ましいと

ころかね？」博明はびくりと姿勢を正した様子で、いきなりダーツの

矢で的の中心を射られた感じらしい。「はい。実は。先生に相談した

という親友のＫに素敵な彼女が出来たもので、ジブンもと…」「なる

ほど、そうか。なら、恥かしがらずともよい。しかし、伊勢谷友介風

のもっとイケメンだと思って来たんじゃないかね？この私が」「伊勢

谷友介、いえ、そんな、いえ…」「昔の賢人の言うとおり、人を見か

けで判断するのはよろしくない」狐狸庵先生はちょっとネクタイのゆ

がみを直しながら「こう見えても私は男女ともに大変に人気があって

ね」と風貌とは不釣合いなくらいの声優風の声を出してきた。その声

が博明には魅惑的に響いて、おののいた。「モテル、モテナイはハー

トだと断言できるね。金や顔、スタイルは実は第一義の要素じゃない

よ」「そうは聞きますけど、ほんとにそうでしょうかぁ？」「もちろ

ん」「そうなら、こんなジブンでも大丈夫ということですね？」狐狸

庵先生はそれには答えず「君の一番好きな女優は誰かね？」と黒縁め

がねの底からじろりと博明をにらんだ。「私のですか？ああ、ええっ

と、上戸彩です」「そうか、それじゃ、上戸彩が君の前で転ぶと

する」「はっ？転ぶんですか？」「まあ、いいさ。その時、君が彼女

を助けたために、彼女と君は付き合うことになった。さあ、君はどう

するかね？」「どうするって、そんなことはありえないけど、わ～ど

うすればいいんですか？」「君はきっと気に入られようと、必死で知

恵を絞るに違いない。それはなぜか？」「そんなチャンスは二度とな

いからです」「そうだ。二度とないと思ったとき、人間は初めて本気

になれるのさ。つまり、２浪、３浪、もう後がないと思う人間はどん

な気持ちで、受験勉強をしていると思う？」「本気になっていると思

います」「そうだ。君は上戸彩に付き合うチャンスがやってきたとき

本気になるだろう。今までの自分をかなぐり捨てても、気に入られよ

うと本気になる。なのに、君は現実にはそんなことは起きやしないと

全く本気になる気はない。いつもどおりさえない不機嫌な顔をして道

を歩くだけだ。それじゃあ、チャンスはやってこないと断言できる。

しかしある日、君は上戸彩に似た女性に出会うとしよう。君は、この

時ばかりはと実際とは違うイケメンスター風を気どるに違いない。そ

して実力の３００％までバージョンアップする。君は否定するかもし

れないが、君は絶対にありのままの君ではいられないはずだよ」「ま

あ、そうかもしれません」「しかし、人間とは本来、飽きっぽい。何

にでも飽きるし同じペースで緊張感を保てることはできないものさ。

だんだん君は着飾った自分を演技するのに疲れてしまうはずだ。そし

て、３日、３週間、３ヶ月後に化けの皮がはがれる。そして、とうと

う破局が訪れる」「ええっもう、破局なんですか？でも３日、３週間

３ヶ月の違いは何なんですか？」「つまり、その人間の継続力のスキ

ルの差だね。３日、３週間、３ヶ月間、あることを、たとえば早朝ラ

ンニングでも、英会話の勉強でもなんでもいい。それを継続できる長

さと同じで、化けられる長さも比例するという理論さ。これが狐狸庵

流『継続力と化けの皮の相関図』すなわち『たまねぎ理論』という」

狐狸庵先生はちょっとここでクールな眼力を黒縁めがねの底から発し

た。


　「はっ、“たまねぎ理論”？」サラリーマン人生を地道に歩んでき

た博明には狐狸庵先生のとっぴな話しには簡単にはついてゆけない。

「むいても、むいても、全部が化けの皮だけというたとえだよ。つま

り、モテル、モテナイも、単に化け続けられる継続力だということだ

ね。早朝ランニングでも、英会話の勉強でも、もてるクールな男にで

も、自分をだまして続けられるか。それを３日、３週間、３ヶ月、３

年と続けられるかということだよ。どうかね？明博君」「はい、その

博明です」狐狸庵先生は名前を正確に言ったためしがない。「まず、

３ヶ月間、君はユーモアのセンスある、クールなモテモテ人間になる

ことを決意して、演じ切れたら、３年は軽いだろう。次はその後一生

涯、苦もなく続けられはずだ」「演技が本物に変るとおっしゃりたい

のですか？」「君はなかなか頭の回転が速いね。まさにそのとおり！

たまねぎはその見本だね。ならば、よき化けの皮を選べばよい」「仕

事もきっとうまくゆくようになるだろう」「はあ、なるほど…それ

でですが、まず、どういう風に化ければいいでしょうか？」「まず、

かっこいい服を買いなさい。それから第一段階の“基本マナー”って

やつを教えてやろう。“人の悪口を言わず、人のせいにせず、そして

道にゴミが落ちていたら拾う。決して怒らず、いつも静かに笑ってい

る”」「宮沢賢治ですかぁ？」「では、３週間後にまた合おう！」


　山田博明３５歳独身は、化けの皮を探しにドアの外に出た。「狐狸

庵相談室か、狐（きつね）に狸（たぬき）か、なるほど、化け方のプ

ロということか」博明は足元にまだ転がっていたペットボトルを拾っ

た。

　　　　　　　　　　　　　　　


　リサコラムの次は「リサコラムの部屋」でちょっと20秒間のブレイクタイムをどうぞ。

　上の写真から、「リサコラムの部屋」のボタンを押してくださいますか？




　　２０１０年１０月１日お日柄もよく、『狐狸庵相談室』が始まりました。

　これからどんな話になるのか？これも偶然の神様次第か、
　
あるいはきつねとたぬきのばかし合いが始まるのでしょうか？





　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　木村里紗子












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