キーン、キーン、かんかんかん、ぎこぎこぎこ～あちらこちらからいろんな工具の

音が鳴り響く中、私は自宅兼事務所の工事現場を遠慮気味に歩いて回った。完成すれ

ば市松の大理石の床に大きなアルミのフレームの天蓋ベッドが置かれ、そしてベッド

脇のガラスの壁の向こうにはロマチックなブルー&ホワイトのバスルームができる。

長さ1.7ｍの卵型の白いバスタブは青白のモザイク模様のタイルの床と壁に美しい

コントラストを作るだろう。そこでバスタブに寝そべってクラシック音楽でも聴きな

がら泡風呂の中で瞑想でもするとしよう。



　　　　　　　　　　　　　　



　ニューヨークかロンドンかパリのモダンなホテルにだって引けを取らない３ｍの高

い天井を持つ５０㎡のワンルームと６ｍの吹き抜けのオフィスのオーナーになる日ま

でわずか。私は木屑の舞う中でアイロンのかかったシーツとたくさんの枕に囲まれて

ベッドで本を読む自分の姿を思い浮かべていた。



　　　　　　　　　　　　



　大きく空いた窓からは容赦なく照りつける秋の射しのおかげでたっぷりの汗をかい

た職人たちがひと時、雑然とした中で腰を下ろす時間が来た。私は用意した盆に紙コ

ップを載せると大きな水筒の蛇口を開いてレモン水を注いだ。



　　　　　　　　　　　　



　私はこの1週間というもの、お茶の時間の１時間前から居ても立ってもいられなく

なって事務所から抜け出すと大きな水筒とお菓子を持って足場の悪い中を踏み越えて

現場にやってくる。ここにようやく私の長年の夢、法律事務所のドラマに出てくるよ

うなSOHOが完成する。待ち遠しい思いは、休憩時間のお茶出しという恰好の言い訳

を見つけて日に３度も事務所を抜け出させ、とても仕事どころではなくなった。さらに

そのお茶の時間のために２０年間で初めて近所の菓子店を探し回った。近所にはこん

なに多くの和洋菓子店が軒を連ねていることに驚いたが、それほど、私は家と事務所

の往復だけで隣近所のことはまるで無知だったのだ。



　　　　　　　　　　　　



　そして完成まであと２週間足らずとなった頃、私がこのテナントビルを手に入れた

不思議な縁を汗を流して頑張ってくれている大工や左官、電気工事の職人のだれかに

どうしても話しておきたくなった。しかし、私は俗にいう「初対面シャイ人間」でそ

んな性格は私に少しの不運と少しの偶然とそして少しの落胆をもたらしてきた。



　　　　　　　　　　　　



　私は１週間の観察の末、若い大工見習いに目星を付けた。私の持った盆から黄身餡

の入った卵型のマシュマロ菓子とお茶を手渡すと勇気を振り絞って切り出した。



　　　　　　　　　　　　



　「今から１５年も前だけどね、突然、『英語でクローゼットっていう綴り、わかり

ますか？』って知らない相手から電話がかかって来たんだよ」とまずは不意打ちをし

た。「はあ？」大工見習いの相手はなんのことかわからんという声を上げた。それぐ

らいは想定内だった私は続けた。「おはようございます。お疲れさまです」の挨拶以

外、まともに声をかけたのは初めてで、こんな切り口はないだろうと思われるのは私

でもわかる。そんなシャイで神経質な私が長年の夢をかなえることになった「縁」を

語る相手にこの若い大工見習いを選んだのは木の削りくずだらけの中にどっかと腰を

降ろしている職人たちの中で彼はひとりだけ、ポータブルな小さな折りたたみの椅子

にいつも腰かけていたからだ。髪の毛はさっぱりと短くそれをきちんと分け目を付け

て撫でつけていることも判断材料になった。つまり、人の話を素直に聞ける素地と細

やかさがあると私は判断したのだ。



　　　　　　　　　　　　



　「そこで私は何のことかもわからなかったけれど、『たしかC、L、O、S、E、T、

じゃないでしょうか？』と答えて、そしてちょっと待って、念のため辞書で調べるか

らと言って、書棚の英和辞典を抜いて、『間違いなくC、L、O、S、E、T、でCLOSET

です』と答えたんだよ。それはネットが普及する前のことだから、君には石器時代と

同じように思えるかも知れないけどね、手元に辞書もなく、CLOSETの綴りがわかる

人もいなくて、何かに切羽詰まっているはずだとその時、私は直観した」


「ふんふん」相手は目を輝かせてそうもぐもぐと口の中で言ったように思えた。



　　　　　　　　　　　　



　「すぐに相手は礼を述べると電話を切った。その後は、私もそんなことは忘れてい

たんだけど、」若い大工見習いは、中に黄身餡の入った卵型のマシュマロの２個目を

ほうばった。この日のために私は口に入れれば、なかなかしゃべれないマシュマロの

菓子を選んでいた。大工見習いは私の策略にはまって、返事ができないけれど、至福

の状況になっているのはすぐに分かった。しかも大きすぎず、小さすぎないサイズで

モカ味、イチゴ味、バニラ味の３色を用意して、どうしても３個食べたくなるように

仕向けていたから当然のことだと思った。そして味を打ち消すことなく、口の中をさ

っぱりさせる効果があるレモン水がそんな菓子には一番合う。



　　　　　　　　　　　　



　「それから私はなぜかクローゼットというものに惹かれてね、SOHOには、収納は

大事な要素だと思ったんだよね。そうこうするうちに１５年も経ってやっと真剣に近

所にいい物件はないかと探していたところ、たまたまここを見つけたって、そういう

わけなんだ」相手はもじもじし始めた。こんな時は話を収束に向かわせる時の合図だ

と悟った。



　　　　　　　　　　　　



　「不動産屋さん曰く、ここはなんと前に、『CLOSET』という店名の女性の服や雑

貨を売るテナントが入っていたそうだ。天井が非常に高くて吹き抜けのある２階建て

だからそれ風の雰囲気のあるおしゃれな作りになっているよね。まあ、そこが一番気

に入って私も決めたんだけど。なのに、今までそんな店にはとんと関心もなかったも

ので、ほんの目と鼻の先にこんなビルがあったなんて、知りもしなかったんだよね。

２０年もこの近所で仕事をしていてもね。まあ、都会とはそんなものだけど」私は大

工見習いに４種類目のチーズ味のマシュマロを黙って差し出した。大工見習いはこく

んと頭を下げると受け取って袋を破り、ぱくっと口に放り込んだ。



　　　　　　　　　　　　



　これであと３分は私のものだ。私は安心して続きを話し始めた。「つまり、１５年

前にCLOSETの綴りを聞いたこのテナントの関係者の電話はここから発信されていた

ってことだね。これは確かだと思う。きっと前のオーナーは店名を決めたは言いが、

電話登録の際にCLOSETの綴りに不安を感じてだれかに確認をしたくなって、そのあ

てずっぽうという必然は私の事務所の番号を引き当てたんだと私は想像してるんだけ

どね。その電話はつまり、この物件を手に入れて自分のSOHOにせよという啓示だっ

たと信じている。やっと自分にも運が向いて来たんだとわかったし、今こそがチャン

スだと思ったんだよ。縁とは面白いものだね」大工見習いはチーズ味を堪能している

ようだ。しかし、間もなく休憩時間も終わる頃だろう。



　　　　　　　　　　　　



　「君はきっときれい好きだろう」私は沈黙を破るために一言ほめ言葉を言うと、「

その話、面白いすね。多分そうでしょう」と相手は反応し、私は彼からさらに１分を

もぎ取ったつもりだった。しかしすぐにその後、大工見習いはゆっくりと椅子から立

ち上がると、後ろの高い窓から外を見た。ここから見ると、お宅の事務所の看板があ

のクリーニング店の看板にかぶさって見えるんじゃないすかね？だから、クリーニン

グ店に「CLOSET」の綴りを聞いたつもりでお宅の事務所の番号にかけたとも考えら

れるかも知れないすね～まあ、わかんないすけどね」彼はさもどうでもいいような感

じで答えた。



　　　　　　　　　　　　



　「なるほど、は～、なるほど。君、すごい、さすがだね。君は人と違っているね。

折りたたみ椅子持参ってとこからやっぱり君は違っていると思っていたよ」私は一

本取られた気分だったが平静を装った。



　　　　　　　　　　　　


　「まあ、その、痔がちょっとあるもので、さあ、勘はどうですかね？そのせいで、

ちょっとは鋭いのかもしれませんがね。まあ、後は普通ですね、ははは～」「ははは

は」私も無理に笑った。そして大工見習いは折りたたみ椅子をたたむと脇に置いて、

「看板、大事すね」と言ってそそくさと立ち去った。


　　　　　　　　　　　　



　私は壁か天井裏のどこかに隠れたい気分でいっぱいになった。目の前で壁下地を探

している職人の「ぴ～」音を聞きながら、もしや壁や天井の下地を探す下地検知器の

ように、シャイ度を測るシャイ度検知器でもあれば、「筋金入りのシャイ人間」と言

われる私はすぐに隠れていることがばれるだろう。


　「だから、最初から縁などというものが苦手だと言ったじゃないか」私は自分につ

ぶやいた。

　 　


　　　

」
　　　リゾートとは何かについてこれも真剣勝負で書いたものですから、
　　　インテリアだけの本ではなく、難しい部類のコラムに入ると思います。
　　　どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。

　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　



　　バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

　　書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

　　どうかご了承くださいますように。