「今年のキャトーズ・ジュイエ（７月１４日フランス革命記念日）は

ひどいものでしたね」タクシーの運転手は車窓から夕暮れの風景をじっと

見つめていた私に話しかけてきた。私はまた、ドライバー節が始まったと

いながら、「キャトーズ・ジュイエって？」としらばっくれた。


　　　　　　　　　　　　


　「ムッシュウ、ご出身はどちらです？」ドライバーはバックミラーで

私の顔を覗きこみながら言った。「この春に、南からパリに越して来た

けど、私は両親ともチュニジアからの移民だよ。まあ、キャトーズ・

ジュイエに興味がないと言うより、祭りとかパレードなんてもの全体に

興味がないってことだね」と答えると、到底理解できないと言わんばかり

の顔をして言った。


　　　　　　　　　　　　


　「そうですか！そんな方がこの世においでなさるのですね！それはもっ

たいないですよ、パリにいるのに、キャトーズ・ジュイエを知らないな

んて！」そして私の方に身を乗り出すと、「まあ、このパンデミックは

いつまで続いて、この先どうなるのかわかりませんがね、しかし、あれば

かりは残念でしたよ。だってパリにいるにもかかわらず、空軍の航空ショ

ーもテレビでしか見られないなんて、いったい、どうゆうことですか！

到底、許せないですよ。まあ、ご興味のない方にそんなことを言っても

仕方ないですけどね。ちゃんと税金納めているんですから、お役人だけ楽

しんで、市民はだめよというのはあまりにひどいと思いませんか？私たち

は、キャトーズ・ジュイエを楽しみに１年間働いているようなものです

よ。ラ・マルセイエーズを歌いながら、トリコロールのけむりを出しなが

ら飛んでゆく飛行機を見送る、あの時の解放感！政府には不平不満もいろ

いろありますけどね、それでも、この国で生きてこられてよかったって、

誇りに感じるんですよ。わかりますか？パンデミックで観光客は激減する

し、仕事は減るし、カフェもダメ、パーティもダメ、楽しみをどんどん奪

われて、家でテレビ見て過ごすしかないなんて、どこでストレス発散した

らいいですかね？もう、あまりにひどい話ですよ！」夕日の絶景スポット

に連れて行ってくれたドライバーの彼はキャトーズ・ジュイエのパレード

を見られなかった悔しさを力説した。


　　　　　　　　　　　　


　「それはそうと、ムッシュウ、これからどこに行きましょう？もう

すっかり暗くなってしまいましたよ」ドライバーはちょっと心配そうな

顔をした。私は自宅以外ならどこでもいいような気になっていたが、悪さ

をした少年が家に帰れず、街をうろつくかのように、帰る気にはなれな

かった。そこで、「そうだね～」とはぐらかしたあと、まずは当たり障

りのない質問してから考えようと思った。


　　　　　　　　　　　　


　「失礼ですが、あなたはご結婚なさっておいでですか？」すると彼は

臆することなく、「したことはありますよ。3回も。それで、今は犬と

二人暮らしですよ」答えた。私は同じ質問が返ってくることを予知して

すぐにまた質問を投げかけた。「あなたは私よりずいぶんお若く見えま

すけど、4回目は？」「いや、もう結婚も同棲もごめんですね。自由が

いいです。犬は文句も言わず、従順で、いつも頼ってくれるし、いつも

守ってくれる。しかし、妻となるとそうはいきませんから。あなたはい

かがですか、ムッシュウ？お見かけするところ、独身には見えませんが、

一人で夕日を見て、センチメンタルな気分に浸らなければならない理由

が何かおありですか？」ドライバーは急に神妙なしゃべり方になって

私に質問した。


　　　　　　　　　　　　


　「今、別居中なものですから」「ほう、それは穏やかではないで

すね」「まあ、１日だけだけどね」「１日！」ドライバーはげらげら

笑い出した。「私なんて、１年も行方不明で、ほら、タクシーの運転手

はその点、便利なんですよ。行方知れずで仕事できますからね、はっは

っはっ、それで、１年ぶりに帰ったらもぬけの殻で、家財道具一切合切

なくなってましたよ。２度目は相手が別の相手を見つけて出て行ったん

です。３度目はお互い出て行って自然消滅、まあ、人間関係なんて、続

く方が奇跡ですね。もしも問題なく続いていたとしたら、何かがおかし

いはずです」私はだんだんとこのドライバーと気心が知れてきた。見ず知

らずの相手に愚痴を述べてどうなるものでもないが、同じタクシードライ

バーに２度会うことはめったにないし、その相手が私の妻や知人を乗せる

という確率もおそらく万に一もないだろうからと思うと、まるでセラピス

トのように何を言ってもいいような気になってきた。


　　　　　　　　　　　　


　「おかしい理由はわかっています。確信を持って断定できます。

それは、私がずっとがまんしてきたからですよ。いや、ほんとうに、

私だけがね」私はそれだけ言うと黙った。セーヌ川の水面に映る最後の

赤い光の帯は静かに黒い水の中に沈んでゆく。明日になれば、すべてを

忘れ去られるような年齢はとっくに過ぎていた。だから、これまでの私

の鬱積した思いを積み重ねた６９年の人生を全部捨て去って、ただ、

１枚の絵だけを持ってやってパリに移住してきたというのに。身軽になれ

たことをあんなに喜んでいたはずなのに、今ではずっしりと重いものが

のしかかって、唯一帰れる場所の自宅にさえ、帰れずにいる。


　　　　　　　　　　　　


　「ムッシュウ、別居２日目はどちらのホテルに行きましょうか？お時

間が許すのであれば、納得ゆくまで自由を謳歌すればいいんですよ」私は

彼に微笑みかけてから、「それじゃ」と言って「ふん」と鼻を鳴らした。


　　　　　　　　　　　　


　「確かに。おっしゃる通り、自由の謳歌が足りないね。おすすめの

いいホテルに、４つ星か５つ星でも、こうなったら、思い切り不良老人

の自由を味わうのもいいね！」「ＯＫ、それなら、お任せください！」


　　　　　　　　　　　


　こうして、哲学者カントの規律もアドラーの人間関係修復術もすべて

脱ぎ棄てた私はその日から堂々と不良老人になったのだった。



　　　


上のイラストから、「リサコラムの部屋」に入れます。

　　　＊リサコラムは2021年より毎週水曜日に連載いたします。

p.s.２
　
フランス空軍による航空ショー、
トリコロールのけむりをはいてカルーゼル凱旋門の上を
飛ぶこの美しいショー。ここは絶好の撮影スポットらしいです。
このショーの実物を見たことはありません。
でも、いつか、絶対に見たいです。
特に青のボタンを押すところを赤のボタンを押してしまって
間違ったトリコロールの画像は希少価値がありますね。


p.s. 2　　インスタグラム、私の日常です。

　　
　　「もの、こと、ほん」は下の写真から、２０２１年１０月号です。


　　　　　　　　　　　


p.s.3
　　　　E-Book「Bedroom, My Resort　 リゾコのベッドルームガイド」
　　　　の英語版です。
　　　　写真からアマゾンのサイトでご購入いただけます。

　　　　　　　　　　　


　　　　タイトルは、"Bedroom, My Resort”
　　　　Bedroom Designer’s Enchanting Resort Stories:
　　 　Rezoko’s Guide for Fascinating Bedrooms

　　　　趣味の英訳をしてたものを英語教師のTodd Sappington先生に
　　　　チェックしていただき、Viv Studioの田村敦子さんに
　　　　E-bookにしていただいたものです。
　
p.s.３
　　　　下は日本語版です。
　　　　E-Book「Bedroom, My Resort　 リゾコのベッドルームガイド」
　　　どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。

　　　　　　　　　　　　　　　　　



　　バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

　　書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

　　どうかご了承くださいますように。