相棒の2CVは私を乗せて山道をゆっくり走っていた。むろん、相棒

を操舵するのは私であるのだが。


　　　　　　　　　　　　


　今日という日を選ぶにあたっては、過去１０年分の天気予報から割

り出した甲斐もあって、お天気には恵まれた。暑くも寒くもない五月

晴のお天気で、出発から途中の休息を挟みながらの3時間、なるべく

地元の人が通る道を選びながらのドライブはここまで順調だった。し

かし、2CVという車の本領は、卵50個を積んで悪路を走っても卵が一

つも割れることないという、舌平目のムニエルのような滑らかな足回り

だが、それを真に味わうには、舗装されていない道で試したいものだ。

しかし、車社会が全国津々浦々、浸透した21世紀の日本では、舗装され

ていない道を探すことの方が難しい。やはり、2CVはボルドーのワイン

カーヴを巡りながら田舎道を走ってみたいなとつくづく思う。

それでも、家族を置いて相棒と一緒に１泊２日のドライブができること

を考えると、最高に幸せだった。この上、文句など言えようはずはな

かった。


　　　　　　　　　　　　


　私は相棒を走らせながら１年前、カフェ２CVのオーナーに山の中で

助けられたこと、そして彼のカフェに連れて行かれたこと、その彼が

南フランスで２CVのレンタカーを借りて旅行中、動かなくなって途方

に暮れていたところ、親切な夫婦に助けられた上、3日間も親身なもて

なしをしてくれたこと、だから、私が山の中で同じような目に遭ったと

き、たまたま通りがかった彼はやっとフランスの夫婦の代わりに恩返し

ができと感じたことなど、あの日に聞いた出来事と一連の話しを懐かし

く反芻していた。


　　　　　　　　　　　　　


　それまで、フランス人と言えば私はあまりいい印象を持たなかっ

た。イタリアでは「スリだ！」と叫べば、すぐに周りの人間が捕ま

えてくれるが、フランス人は何もしないという話しをずっと信じてき

たためだった。私は改めてフランス車と同様にフランス人も見直し

た。きっとパリと田舎では違うだろうとは思うが。


　　　　　　　　　　　　


　そんな得難い体験を２０代でしたカフェ２ＣＶの彼は、１０歳以上

年上の私より人生経験はずっと豊富だった。同じ変ったフランス車を

好きという共通点だけで、私などは彼ほどには物事を深く考えたりし

てこなかったと思う。職業人として成功しても、家庭人として順風満

帆であったわけでもないかわり、平凡な人生だったが、あの彼と出会

った長い１日は私自身の歴史の中では、明治維新くらいの大きな出来

事となった。


　　　　　　　　　　　　


　それまでは車が唯一の趣味だった私は、妻から言われて家事を手伝

わせられるのがとても嫌で、もちろん、この表現には差別的な表現が

あることはわかった上で述べているが、妻はことあるごとにフランス

人は平等に家事を分担するのだし、手伝うという意識自体がそもそも

間違っている。フランス車を乗り回す以上、私もそれに従うべきだと

くり返していた。もちろん、それに異論はなかったが、フランス車に

乗るから、フランス人のしきたりにならえと毎度毎度言われると、妙

な反発心が私にも芽生え、ぷいと家を出て行ったりもした。しかし、

家政婦を雇うまでもないような家では、家事をやるのは家人に決まっ

ているのだから、フランス人にならわなくても、もっともなことでは

ある。しかし、それもこれも、2CVと山の中で一晩過ごした日から、

私の考え方や態度が変わったのだと思う。すると次第に私に対する妻

の態度も変っていった。


　　　　　　　　　　　　


　それは私が家族の誰より先に起きて、カフェ２ＣＶで食べた同じメ

ニューを作ってみようと思ったことからだった。あのフランス式のサ

ンドイッチの味が忘れられず、と言っても、すぐにまたカフェ２CV

に飛んで行こうという気にはならなかったから、私は戻った次の土曜

日、早速、軽く焼き戻したバゲットを４等分にしたあと、タテに切れ

目を入れ、発酵バターをたっぷり塗り、その中に新鮮なレタスとトマ

トとチーズを挟んだフランス式のサンドイッチを家族に作ってやっ

た。たっぷりのカフェ・オ・レと一緒に。


　　　　　　　　　　　　


　これまで夫として、親としてなかなか信頼を勝ち得ることができ

なかったのに、その朝、妻と息子、娘の３人は目を丸くして驚き、

おいしい、おいしいと言って完食したどころか、私はすっかり見直

されてしまったのだ。以来、毎週土曜日は自宅がカフェ２CVになっ

た。


　　　　　　　　　　　　


　それに気をよくして、私は家事も自主的にやるようになった。日々

のメンテナンスの重要性を認識したと言えばかっこいいが、家も人間

関係も車と同じでメンテナンスさえしていれば、いきなり崩壊した

り、破局を迎えたりすることもなかろうということだ。


　　　　　　　　　　　　


　実を言うと、あの山の中での遭難事件のことは家族には話してはい

ない。希少な古い車を大事に乗り続けるオーナーとしては秘密にして

おきたいこともあるのだ。


　　　　　　　　　　　　


　カフェ２CVのオーナーとの再会場所は、１年前、私が遭難した同じ

山の中にしてある。私はブルーグリーンの２CVと、そして彼は真っ赤な

トマトレッド色の２CVで、しみじみと人生と車を語り合い、

一晩を過ごすつもりなのだ。


　　　　　　　　　　　　


　「こんな最高な夜、そうそうあるもんじゃないよ！」私はそう相棒

に言いながら、夕暮れの山道を目指していた。


　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　おわり



　　　



上のイラストから、「リサコラムの部屋」に入れます。

　　　＊リサコラムは毎週水曜日に連載いたします。

p.s.１

　もの、こと、人間関係、そして人間自身も
　メンテナンス大事ですね。



p.s. 2　　インスタグラム、私の日常です。

　　
　　「もの、こと、ほん」は下の写真から、２０２２年６月号です。


　　　　　　　　　　　


p.s.3
　　　　E-Book「Bedroom, My Resort　 リゾコのベッドルームガイド」
　　　　の英語版です。
　　　　写真からアマゾンのサイトでご購入いただけます。

　　　　　　　　　　　


　　　　タイトルは、"Bedroom, My Resort”
　　　　Bedroom Designer’s Enchanting Resort Stories:
　　 　Rezoko’s Guide for Fascinating Bedrooms

　　　　趣味の英訳をしてたものを英語教師のTodd Sappington先生に
　　　　チェックしていただき、Viv Studioの田村敦子さんに
　　　　E-bookにしていただいたものです。
　
p.s.３
　　　　下は日本語版です。
　　　　E-Book「Bedroom, My Resort　 リゾコのベッドルームガイド」
　　　どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。

　　　　　　　　　　　　　　　　　



　　バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

　　書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

　　どうかご了承くださいますように。