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リサコラム
連載834回
      本日のオードブル

窓をめぐる
ショートショート

第7話

「家政婦の見た窓」

木村里紗子のプロフィール

マダム・ワトソンで400名以上の顧客を持つ販売員。
大小あわせて、延べ1,000件以上のインテリア販売実績を持つ。
著書「シンプル&ラグジュアリーに暮らす」(ダイヤモンド社
紙の本&電子書籍)(2006年6月)
「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
(電子書籍2014年8月)
道楽は、ベッドメイキング、掃除、アイロンがけなどの家事。
いろいろなインテリアを考えだすこと。
新リゾートホテルにいち早く泊まる夢を見ること。
外国語を学ぶこと。そして下手な翻訳も。

20年来のベジタリアン。ただし、チーズとシャンパンは好き。
甘いものは少々苦手。
アマン系リゾートが好き。ただしお酒はぜんぜん強くない。
好きな作家は
ロビン・シャーマ、夏目漱石、遠藤周作、中谷彰宏、
F・サガン、
マルセル・プルースト、クリス・岡崎、千田琢哉、他たくさん。



海の色を
移したような壁の前に
ゴールドの刺繡を点々を施した
ベッドスプレッドをかけた
ベッドが1台。
左右には
シフォン
レースの
カーテン
左右に
ガラスの
ナイトテーブル
ガラスのランプ
ブルーのオットマン
手前には格子窓のようなものが
さて30年の物語がまた始まるようです。



 



第7話
「家政婦の見た窓」




 
「私の母はずっと家政婦をしていました。50年以上もの間です。

そんな長い間、様々なお宅で母は重宝がられたようです。


            


 もう間もなく80歳の扉を開けようとしていますが、いまだにあち

こちのお宅からお呼びがかかっては出向き、お部屋の掃除をし、整理

整頓をし、洗い物をし、洗濯物を干して、畳んで、また干して、畳ん

で、お食事の作り置きを1食分ごとにジップロックに入れ冷凍し、メモ

を残してお勝手口の鍵をかけてお宅を出ます。おかしいのは、母は運転

手付きの家政婦というところです。おかしいですよね!


            


 その偉大な母は私をほぼ1人で育ててくれました。父は私が中学1年

生の時、突然いなくなり、それ以来消息不明なのです。どこで何を

しているのやら、死んでいるのか、生きているのか、風の便りもちら

ほら耳にはしましたが、正直、母も私も父のいい加減な性格から判断

して、それ以上追求することをしませんでした。


 しかし、母は父の失踪後、18歳から続けてきた家政婦の仕事をさら

に増やして懸命に私を育ててくれたのです。そんな母子家庭を想像す

ると、うらぶれたイメージを持たれるかもしれません。しかし、家の

中はいつも明るく、家の隅々はいつもきれいで、窓ガラスは一分の曇り

もなく透明に輝いていました。


            


 そして私が高校を出る頃には母はさらに忙しくなっていました。

私は私で学校の勉強や習い事や部活で精一杯で、家のことを手伝う

余裕もありませんでした。それでも、家の中が散らかることも、窓

ガラスが曇ることもなかったのです。その頃の母の心情を知る術は

ありませんが、母は父が出て行った後も、文句の1つも言ったことが

ありませんでした。誰の悪口も、もちろん家政婦としてお世話になっ

ているおうちの人たちの悪口を言うなど皆無でした。


            


 母から聞くお宅のみなさんはみな、人格素晴らしく、優秀なのに、

威張らず、常に優しくいたわりの心を持ち、寛容で、まるで聖人のよ

うだと私には思えました。しかし、私が社会に出て仕事をするように

なると世の中はそんな人たちばかりではないということに気づかさ

れました。


            


 私は妙なことに、母を恨みました。私は田舎で18まで過ごして

きて、もちろん仲の良くない友人もいましたが、それでも当時の田舎

のことですから、いじめなどという深刻な問題にはならず済んでいた

のです。しかし、都会の学校を出て一人暮らしをし始め、さらに社会

に出ると、母の言っていた優しくいたわりの心を持つ寛容な人がこの

世の中にいるのだろうか?と思うようになりました。みんな自分勝手

でわがままで人に対する思いやりなどを持つ余裕もなく日々をあくせ

くと生活のために生きているような人たちばかりに見えたのです。

母がお世話になっていた聖人のような素敵な人たちは本当にいたのだ

ろうか?もしかしたら全部作り話だったのではないだろうか?そん

なふうにさえ思えるようになりました。


            


 社会人1,2年生の頃、私は毎朝7時の電車に乗り、夜10時頃、

帰宅していました。仕事に慣れない内はいつも失敗をしては上司には

怒られ、取引先には怒鳴られ、私ってなんでこんなにできないんだろ

う?と打ちひしがれる日々を送っていたのです。帰って来るのはお風

呂のない古いアパートですから、かばんを投げ捨てるように部屋に置

くと、近所の銭湯に飛んで行き、帰り道、遅くまで営業している中華

&居酒屋さんで定食を食べて帰るような生活で、自分で料理などした

ことありませんでした。都会の中の落ちこぼれのようなと言ってもい

いような暮らしでした。しかし、そんな風景はきっとまだまだ東京に

はあるはずです。問題はきれい好きな母から受け継いだはずの生活

習慣を忙しさの中ですっかり忘れ去っていたことです。掃除もそこそ

こ、洗濯物も溜まったままで、1週間家事をせず、せっかくの休みは

掃除、洗濯で1日が終りました。だからきれいなお宅で働く母の仕事

がなぜか羨ましく思えるようになったのです。ほんとうに、身の程知

らずもいいところです。そこで私は母に電話をしました。電話と言う

よりは愚痴を全て言い尽くした感じでした。母は黙って聞いていまし

た。


            


 それから3月ほど経ったころでしょうか?母も都内で仕事を得て、

ひとり暮らしを始めたと聞きました。しかし、二人とも休みが違うた

め、会うこともなく日々が過ぎていたのです。


 それから母が東京にやって来て、ひと月くらい経ったころ、やは

り、夜の10時過ぎに帰ってくると、部屋の様子が、いえ、空気が

なんとなく違っているように感じたのです。私は違う部屋に入ったの

だとばかり思って慌てて外に飛び出ました。しかし間違いなく私の部

屋番号でした。それでもう一度部屋の中に入ってみました。


            


 今までの見慣れた部屋とはまるで違っていました。どう違っていた

のか一言では言えないほどでした。まず、今までグレーだと思ってい

た玄関のドアが本当は明るいベージュに変っていました。壁もグレー

だと思っていたのですが実は真っ白い壁だったのです。そしてキッチ

ンで料理をすることも、磨くこともなかったのですが、まるで新品の

キッチンに変ったのかと思う位にピカピカになっていました。そして

さらに小さなダイニングキッチンと寝室との間の格子戸から部屋を見

たとき、私は始めて腰を抜かすという体験をしました。腰を抜かすと

はバランスを崩して自ら後ろに倒れ込むことなのです。その衝撃がま

たさらに、自分を驚かせました。


            


 脱ぎ散らかしたパジャマとふとんカバーと毛布類が散乱した見慣れ

た乱雑な部屋は、こともあろうに高級ホテルのようなベッドルームに

変わっていたのです。母はその頃、都内のホテルでハウスキーピング

のマネージャーの仕事をしていると言っていました。さらに、あちこ

ちのホテルから招かれるようにして最近増えた外国人労働者に対する

ハウスキーピングのいろはを教えていたようです。だから、母の仕事

だとすぐにわかりました。しかし、私は自分の汚い部屋がこれほどま

でに変わるとはとても理解できませんでした。


            


 天井から下がるカーテンは突っ張り棒のようなレールをつけたか、

母なりの工夫のような技も随所にみられましたが、私の目にはヨーロ

パの五つ星ホテルのスイートのようにしか見えませんでした。

だから、私は幻想を見ているのだと思いました。それは現実に私の

部屋で起こったことなのですが、私は驚きおののき、自分の目を疑

ったのです。


 30分ほど、私は寝室に入るのが恐ろしくて、格子窓から寝室を

眺めていました。入ったとたん、雲散霧消、消えてなくなるのでは

ないかとさえ思ったのです。


 それからやっとバラの花が1輪おかれた白いテーブルクロスの

上にメモが置かれていることに気づきました。それにはこう書か

れていました。「いつも曇りガラスから向こうを見ていると、美

しいものも全て曇って見えます。毎日、この格子窓を磨いてくだ

さい。綿棒で門まで角まできっちり、1ミリの10分の1の曇り

さえないように。母より」


            


 私の生活がそれ以来変わったのはもちろん言うまでもありませ

ん。そこに来てやっと、私は母の偉大さに無関心でそれまで生きて

きたことがわかりました。その後、私は方向転換をし、サービス業

への道を歩むことになりました。


            


 ホテルのサービス部門を渡り歩くこと30年、ようやく、ハウス

キーピング部門のマネージャーになることができ、遅ればせながら

母と同じ地位にたどり着くことができました。しかし、まだ私の夢

は先があります。それは、たった1人だけをもてなすホテルを作る

ことなのです。サービスと言うのはサービスを受ける人数が増えれ

ば増えるほど分配の原理で一人ひとりの満足度は減っていきます。

私が若い頃、あの古いアパートで経験したような感動を、今度は別

の誰かに与えてみようと思っているのです。


            


 実はホテルの場所も決定し、プランも完成しましたが、詳しい内容

はまだここでは伏せておきたいのです。ただ、その時の最初のゲスト

は、僭越ながら、私の母とさせていただきますことだけはみなさまに

ご了解いただきたいと思っているのです。






   



上のイラストから、「リサコラムの部屋」に入れます。

   *リサコラムは毎週水曜日に連載いたします。

p.s.1

空想の物語、お読みくださりありがとうございます。
最近は音声で書くことが多くなりました。
キータッチも段々と遅く、下手になっています。

p.s. 2  インスタグラム、私の日常です。

  
 
 「もの、こと、ほん」は下の写真から、2022年10月号です。


           


p.s.3
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
    の英語版です。
    写真からアマゾンのサイトでご購入いただけます。


           


    タイトルは、"Bedroom, My Resort”
    Bedroom Designer’s Enchanting Resort Stories:
    Rezoko’s Guide for Fascinating Bedrooms


    趣味の英訳をしてたものを英語教師のTodd Sappington先生に
    チェックしていただき、Viv Studioの田村敦子さんに
    E-bookにしていただいたものです。
 
p.s.3
    下は日本語版です。
    E-Book「Bedroom, My Resort  リゾコのベッドルームガイド」
   どこでもドアをクリックして中身をちょっとご見学くださいますように。


                 



  バックナンバーの継続表示は終了いたしております。

  書籍化の予定のため、連載以外のページは見られなくなりました。

  どうかご了承くださいますように。













































































シンプル&ラグジュアリーに暮らす』
-ベッドルームから発想するスタイリッシュな部屋作り-
 
(木村里紗子著/ダイヤモンド社 )                      Amazon、書店で販売しています。 なお、電子書籍もございます。

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